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続うつ病日記2

 昨日の日記を投稿した後、ある友人から、その日の天気や食事、飲んだサプリなども記録すると、自分がどんなきっかけで体調を崩すかが分かってきて良いと教えていただいたので、そんな情報も盛り込みながら日記を書くことにする。食事に言及するとはいえ、この日記が、くどうれいんの『わたしを空腹にしないほうがいい』のような素敵なテクストになることは決してない。彼女の本に出てくるような美味しそうな食事は、少なくとも今日の日記には登場しない。ちなみに『わたしを空腹にしない方がいい』は我が家のお気に入りのエッセイ集のひとつだ。中で紹介されている、鶏胸肉のバルサミコ酢ソース和えは、うちの定番料理のひとつとなっている。

 昨日の天気は快晴。昼間は暑いほどだったようだ。もっとも午後遅い時間になるまで外に出なかったので本当のところはよくわからない。

 昨日は日記を書いた後、結局昼食(スーパーで割引されていた全粒粉のトーストとカレイのムニエル、青汁入りコーンポタージュ、コーヒーだった気がする)を取った後寝入ってしまった。本を読むのも難しいときているのだから、チェコ語で詩人とやりとりをして訳文の微調整をするなんて尚更不可能だ。薬を飲んで寝入る前に、依頼主に納期が遅れる旨を伝えた。そして、気心の知れた友人数人に、会って少し話ができないかLINEをした。

 1時間ほど寝て起きると、友人の一人Eさんが話をするために近所まで来てくれるという連絡が来ていた。16時の待ち合わせ前に、なんとか、チェコの詩人のひとりに詩の解釈や訳文の調整に関してメールの返信を送る。そんな無理をする必要はもちろんないとは思っているのだが、わずかではあれ、仕事らしい仕事ができるのは精神衛生にいい。それにやはり、誰が相手であれ、詩や文学の解釈についてやり取りをする時は、多かれ少なかれ幸せを感じる。

 友達と喫茶店で待ち合わせをする。午後遅い時間だったので、カフェインが含まれているコーヒーを避けてココアを注文した。わたしにはやや甘すぎるのだが、それ以外の選択肢はなかった。多分セロトニンとか入ってるし、うつ病には悪くないはずだ。

 友達とは2時間ほど愚痴混じりの世間話をした。彼は8年来の友人だ。彼の言葉を借りるなら、わたしたちは、わたしが「四足歩行の獣だった時代」からの仲だ。確かにあの頃は野性味があって無茶苦茶な生活を送っていた。もう当時のように「四足歩行で」走り回ることはできないが、根本的なところは今でも変わっていないと思う。そうでなければ同人雑誌を出したり朗読会をしたりなんてしているはずがない。大人しく普通の企業で週5で働いているだろう。わたしがうつ病になったのは、もともと「四足歩行の獣」だったにもかかわらず、二足歩行の人間の世界に同化しなければと必死になってしまった結果だと思う。けれども、二足歩行の人間の社会で「四足歩行の獣」であり続けることもまた、決して簡単なことではない。油断すればすぐに、二本足で立てないわたしは劣っているのではないか、出来損ないなのではないか、この社会を生き抜くことができないのではないか、という不安に脳内が占領されてしまう。同調圧力の強い社会で自分を貫くということは、本当に難しい。今年の初めに『問題の女 本荘幽蘭伝』(平山亜佐子・平凡社)を読んでいたく勇気をもらったが、幽蘭のような生き方は並大抵の精神の持ち主にはできない。

転職50回以上、50人近い夫と120人以上の交際相手を持ち、日本列島、中国大陸、台湾、朝鮮半島、東南アジアに神出鬼没、明治・大正・昭和を駆け抜けた毛断[モダン]ガールの本家本元。(帯の文句より)

幽蘭のように、他人の目など気にせず「わたしはわたし!」と胸を張って言い切る度胸があれば、あるいはわたしも「四足歩行の獣」のまま自分を貫くことができただろう。それはそれで大変そうだが。

 帰宅後はうどんを作るつもりだった。しかし、冷蔵庫からうどんと白菜と豚肉を取り出し、コンロに鍋を乗せたところで、突然調理をするのが億劫になった。昼食に使った皿やフライパンはまだシンクに残っていた。急激に食事を作る意欲がなくなったので、とりあえずバナナと青汁と豆乳のスムージーを作って飲んだ。それでも口寂しかったので、コンビニに行って冷凍の魯肉飯を買った。多分この間読んだ『魯肉飯のさえずり』に引っ張られたのだと思う。
 こんな食生活をすることになろうとは、自分でも想像だにしなかった。わたしは比較的料理好きで、一人暮らしを始めてからは日本でもヨーロッパでもほとんど自炊してきた。冷凍食品やレトルト食品などは全く信用しておらず、ほとんど使ったことがなかった(その点に関しては夫と感性が大きく食い違っている。夫は、冷凍食品やレトルト食品ほど衛生的に安全な食料はないと言う)。料理はわたしの趣味だったし、ストレス発散ですらあったのだ。
 セルフネグレクトというのだろうか? 今は全く自分の世話を焼く気持ちになれない。自分に美味しいものを作ってあげたり、自分を綺麗に保ったりする気力が湧いてこないのだ。冷凍の魯肉飯は味ばかり濃くてちっとも美味しくなく、お腹にずっしりと重かった。やっぱりスムージーだけにすればよかったと後悔する。わたしも雪穂の魯肉飯が食べたい。

 SNSに良い心療内科がないか相談を投げかけた。今通っている心療内科は、薬の処方を中心にしており、カウンセリングには力点を置いていない。というか、薬の説明をするばかりで相談を持ち込む隙すら与えてくれない。挙句の果てには、ウクライナ侵攻に際して、本気か冗談でか、「日本はいずれロシアとアメリカと中国に分割統治される」というようなことを話しはじめ、メンタルを病んでいるわたしの方が気を遣って話題を逸らすという始末だった。やっぱり今かかっている心療内科は自分には合っていないと思う。ドクターショッピングは医師の間では嫌われているような印象を受けるが、実際に精神疾患を患った人の話を聞くと、自分に合う医師と巡り逢うにはそうするより他ないのだという。本人だって望んでドクターショッピングをしているわけではない。お金も時間も精神力もすり減らされてしまうのだから。それでも、できることなら安心して自分の心を預けられる医者にかかりたい。藁をもすがる思いで彼らは医者を探す。少しでも自分を楽にさせたいと思って。それくらい精神疾患という病は苦しい。

 親切な友人から、信頼できる心療内科を教えてもらった。予約は5月一杯埋まっているらしいが、とりあえず予約を入れるだけ入れてみることにした。以前、大学機関のカウンセリングにも連絡を入れてみたが、ほぼ同じ状況らしかった。コロナ禍でカウンセリングを必要としている人が増えているのだ。今通っている心療内科だって、予約こそすぐにとれるものの、毎回1時間以上は待たされる(わたしは、病院へも役所へも基本的に待つこと前提で本や原稿を持って行くので特に気にならないが)。様々な心療内科が予約でいっぱいになるほどに、この社会には心を病んでいる人がいるのか、と思うと暗澹たる気持ちになる。そしてその現実がまた、わたしの心に重くのしかかる。悪循環だ。

 幸い昨夜は悪夢を見ることはなかった。けれども熟睡もできなかった。昨晩は22時過ぎに寝ついたが、目が覚めたのは5時前だ。昨晩なんとか炊飯器にセットした玄米の炊ける匂いでお腹が鳴る。炊き上がるまでの数十分マグリスの『ミクロコスミ』を読んで、しばしトリエステに思いを馳せる。ドイツ語とクロアチア語とイタリア語が交錯する文章。翻訳には骨が折れたことだろう。マグリスが描写するイタリアの風景は、中欧のそれと圧倒的に光量が違う。きっとそこで発せられるドイツ語の響きも、ドイツやオーストリアのドイツ語の響きとはどこか違うのではないだろうか。行間から立ち現れてくる眩しい風景に、思わず目を細める。

 今日も晴天だ。スマホのメールボックスを開くと、昨日感想と質問を送った詩人から早くも返事が届いていた。おそらく同い年の詩人で、詩もメールの内容もチャーミングだった。企画が公にされるまでは詳しい話は書けないが、ものすごく日本に紹介してみたい作家だ。
 玄米が炊き上がって1時間ほど布団の中でゴロゴロしてから、しぶしぶ起き上がった。薬を飲もうと台所に行くと、シンクに溜まった食器は当然のことながら片付いてはいない。玄米に納豆と生卵をのせて朝食にし、コーヒーを飲む。
 セルフネグレクトばかりしてはいられない。とにかく今日は、シンクに溜まった食器を洗ってお風呂に入ろう。それだけでいい。あとは寝ながらマグリスの続きを読めばいい。うつ病患者にはそれで十分だ。

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