【100円】プラトン『国家』第1巻の要約

哲学する高等遊民です。大学院ではギリシア哲学を主に研究していました。


プラトン『国家』は、史上最大の哲学者プラトンの主著と言われる著作です

非常に重要な作品なのですが、少々長いし難しい。(岩波文庫で上下巻。900頁ほどです)


このnoteでは、『国家』の内容をおよそ10分の1に縮めて、議論だけ丁寧に追っています

こちらのnoteを読めば、『国家』第1巻の議論の内容は9割ほどはカバーできます


わたし(高等遊民)の意見のようなものは、全く入っていません

純粋な要約なので、10年後も十分価値のあるnoteです(実際、このnoteの原型は大学院時代に作りました)


――国家とはどんな作品か?

タイトルだと「理想的な国家のあり方」を語るイメージですね。

けど実はプラトンが国家の話をするのは別の目的があります

それは「正義とは何か?」を追求することです


第2巻の要約で詳しく分かりますが

1 誰でもバレなければ不正をする(利益になるから)
2 正義や法律を守るのは、バレると損だから。
3 つまり現状では、正義を守る人間のうち、「利己主義者」と「心から正義を愛する人」の区別ができない。
4 バレない不正な生き方を極めることが幸福な人生。←反論できるだけの言説がない
5 【結論】正義を守る人生に、積極的意義が全くない。

それでも正義を弁護できるのか?

これがプラトン『国家』のテーマです。

この状況で正義を弁護するには、現状の国家・市民の中では間違った前提が多すぎるとプラトンは考えました。

たとえば「悪いことすると地獄へ行く」という宗教的な話。これも、生きてるうちに荒稼ぎしたお金を奉納すれば許されるわけです(現在もそうです。アメリカのお金持ちとかチャリティーしてますよね)

といういことで、既存国家の伝統の上に、正義を弁護することは難しい。

かと言って、理想国家を物語風に描写したところで、単なる理想論や社会風刺の枠を出ません。

ゆえに哲学的議論によって、国家や人間のあるべき姿の同意を取り付けつつ、理想の国家およびその実現可能性を一から作ることを試みた


プラトン『国家』とは、現代の私たちの生き方の選択に直接問いを投げかけます。

すなわち

・正義を守って生きるべきか?
・不正を極めて生きるべきか?

もっとマイルドに言うならば、

・絶対に正直に誰にもウソもおべんちゃらも言わずに生きるべきか?
・少々のグレーなことには目をつぶって、利益を優先すべきか?

ふつう、絶対後者ですよね。

『国家』のあらすじ(梗概)を知っておくことは、あなたの役に立つはずです


とはいえ、上記のような真剣な問題意識を抱いて読む必要はありません

単に「教養をつけたい」という望みでも、大いに結構です

・知らないよりは、知ってる方がずっといい
・そして『国家』は知る価値のある話

だと思います


ぜひ読んでいただきたいのは、

「自分1人で読んでいるけど、ちゃんと理解できているか不安」

という方。

「高等遊民と一緒にプラトン『国家』を読む」というイメージを持っていただければ嬉しいです

全10巻あるうちの、第1巻の要約です。私の要約の手間賃として、100円を頂ければ幸いです。

駅のホームの自販機でレッドブル(200円)買う代わりに、ミネラルウォーター(100円)とこの要約noteを買って電車に乗って頂ければ幸いです


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こちらの要約は、マガジンでまとめ買いされることをお勧めします。



『国家』「第一巻」要約

導入(一~二) 

トラキア人の女神ベンディスを祭るお祭りにベイライエウスへとグラウコンと共に出かけるソクラテス(最初にグラウコンといることがグラウコンの重要性を示す)。

その帰路につこうという折、在留外人のポレマルコス(裕福な武器商人。クリティアスに殺される)が、グラウコンの兄アデイマントス、ニキアスの子ニケラトス他数名を引き連れ、ソクラテスたちと出会い、一行を引きとどめる。

ソクラテスは「われわれを放免すべきだ、ということを説得する」と提案するが、拒否される。

ポレマルコス邸には、ポレマルコスの弟、リュシアスとエウチュデモス、カルケドンのトラシュマコス、パイアニア区のカルマンデス、クレイトポンなどの顔も見える。ポレマルコスの老齢の父、ケファロスも在宅であり、滅多にベイライエウスに来ないソクラテスに「老齢のためこちらから出かけることができないのだから、あなたが来てくれるのでなければ」と苦言を呈する。

ケファロスの「老齢について」(二~三)

『国家』第一巻の序幕部分では、ちょうど犠牲を捧げ終わったところで、冠をつけたまま中庭に座していた老ケファロスに対してソクラテスが次のように問いかけるところからはじまる。

「あなたにとって、老齢はつらいものだろうか」、と。ケファロスは詩人ソフォクレスを引き合いに出しながら、老齢が辛いものであるか否かは、若い頃の愛欲や酒の楽しみが、奪われたり、蔑ろにされたりすることによるのではなく、その人自身がどういう「ありかた」をしているのか、によるという。たとえば、年をとっても、その人が足ることを知っていれば、老齢は適度に過ごしやすいものとなる。人生の幸不幸とその人自身のありかたの関係という『国家』の中心問題はこうして語りだされる。

ケファロスの「財産所有の利点」(四~五)

ケファロスによると、人が幸福であるのは財産の所有によるのではけっしてないのだが、多くの人は決してそのようには考えないだろうとソクラテスは指摘する。ケファロスは、テミストクレスを引き合いに出しつつ、「人物が立派でも、貧乏していたら老年はあまり楽ではないし、また人物が立派でなければ、金持ちになったとしも、安心自足することはない」と応答する。

「ところで、財産は相続分と、稼ぎとどちらが多いのか」と尋ねるソクラテスに、ケファロスは「自分は、現在の財産と同等の相続分をさらに数倍に増やした祖父と、それを現在の財産よりも減らしてしまった父との真ん中くらいであり、息子たちのために自分が受け継いだ分を減らさずに、いくらかでも多く遺してやりたいと考えている」と答える。

ソクラテスは、「詩人が自分の作品に愛着を寄せるように、金持ちも自分が稼いだと思う気持ちからお金を大切にするのであって、単に実利的な観点からだけ大切にするのではない。しばしば彼らは富以外のものは何一つほめようとはしないけれども、しかし、あなたは、お金にそれほど強い愛着を寄せているようには感じられない。」とケファロスの人柄を讃える。

ところで、ソクラテスの追及に答えるケファロスによれば、財産を持っていて一番善い、と思われるのは次の点にあるという。それは借りをできるだけ残さずに済む、という点である。
人生の終わりになってくると、あの世で受ける不正の罰のはなしが気になってきて、自らの借りを見出すものはそれで不安になる。しかし、財産を持っていれば、人にうそを言ったりしないで済むし、神に犠牲を捧げないでそのまま借りを残したり、他人にお金を借りたままであの世に行く、という恐れがない。つまり、「借りたままになっていること」が不正であり、「借りを返すこと」が正義である。したがって、財産の所有は正義に役立つとケファロスは考える。

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