2019/9/25 ”できる”人が帯刀する刃
描きたいアリレコ小ネタがあったんですが、
なぜか今日は朝起きたら腱鞘炎が加速していたので、
落書きおやすみです……!
↑は、見せられる原稿のラフです(´ω`)
ぼちぼち仕上げていくぞう!
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こんにちは、珠百合です。
ふと思ったんですが、
人って”自分ができないこと”に関しては、まだ寛容になれる人は多いけれど、
”自分ができること”については、いきなり押し売りしたり、「できることが普通」とか「正義」みたいな価値観を押し付けちゃうことが多い気がします。
別に何かあったわけじゃないですよ!
それに、そういう人”全員”が押し付けてくる傾向がある・とかくくりたいわけでもないです。
ただ、なんとなく自然に思ったのです。
後者って、それを善意で言っている方が多い気もします。
悪ではない。
むしろ親切な方なのかもしれません。
けれども、だからこそ、言葉の力が強いです。
言われた人は、傷つくことも多いのではないかな。
逆上がりで考えてみれば、考えやすいのかも。
逆上がりできる子がいたとして、できない子に対して
「できないの?おかしい!」
とか言ってたら、子供らしい会話ではあれど、
大人目線で見るとちょっとヘンテコですよね。
体の問題もあるかもしれない。
その子にとって、逆上がりできることはそこまで重要でないから、練習しないのだけかもしれない。
逆に、誰よりもはちゃめちゃピアノが上手いかもしれない。
いろんな考え方ができるのに、”できる人”の中には、どうしても一定数の「どうしてできないのか」ってことを言葉にしたがる人がいます。
さっきも言ったけれど、これは悪意でないことが多い。
悪い人だとか言いたいわけではないのです。
ただ、自分もそういう側になりうることがある。
だからほんの少しこういったことを心に留めておきたいなと思って。
自分は、きっと知らないうちに誰かを傷つけてきたのだろうなぁとか。
それは親切のつもりでも関係なくて。
むしろ善意からくる言葉こそ人を深く傷つけることもあるのだってこと。
人と自分は違うのだから、
「自分が”できる”ことを人ができなくても、むしろそれが普通。
逆にこの人が”できる”何かが、自分には”できない”かもしれない。
すごい!!まじリスペクト!!!!!」
くらいの気持ちでいたいなぁ。
お布施ほんとうにうれしいです!ありがとうございます!!(╹◡╹) (※ここでいただいたお布施は、PP共有財布に入ります♪)