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下着は記号

女の子たちの下着を部屋で干している。

わたしの仕事場の話だ。
男女混合、幼児からハタチまでの子どもたちが親元を離れて生活をしている。生みの親と1日も一緒に生活をしたことのない子どももいれば、家が当たり前にお世話をしてもらえる場所ではなかった子どももいる。
彼らが毎日の生活のなかで当たり前に大切にされて当たり前に安心で安全でいられる、そういう実感を持てるように環境を整え関係を築くこと。それがわたしの仕事のいちばんの土台部分だ。
だから毎日洗濯をする。今日一日着た服を、パジャマや寝具を、バスタオルを、体操服を、給食着を、お弁当の包みを、上履きを、制服のワイシャツを。
実際に洗剤できれいにしてくれるのは洗濯機だが、洗濯機に入れる前にネットを掛けたり、洗い上がったものをハンガーに下げて干したり、取り込んだり、アイロンを掛けたり、畳んだり、クローゼットにしまったり、洗濯槽を洗浄したりするのはわたしたちだ。そうやって毎日手をかけて、同じ行為を繰り返して、子どもたちの当たり前にお世話をされる体験を積み重ねていく。とても地味で退屈で、だからこそ堅固で重要な基盤となる。

いかんせん人数が多いので、洗濯は夜のうちから回す。洗上がったものからリビングで部屋干しして、朝になってまだ乾いていないものだけ外で干す。朝も朝で洗濯機はフル回転なので、朝洗上がったものは外に直行。昼前にはぜんぶ乾いて、それぞれの部屋のクローゼットにしまっていく。
ただ、女の子の下着だけは別なのだ。洗濯機から出したらリビングには干さず、それぞれの部屋に干しに行く。
思春期に片足踏み入れた頃からずっとそうしている。下着というプライベートなものを無造作に他人の目に触れる場所にぶら下げておくことは、子どもたちに間違ったメッセージを送ってしまうから。

あなたの心と身体はあなただけのもの。
わたしはあなたが大切だから、あなたの心と身体を大切にしたいよ。
水着で隠れる場所(と口)はプライベートゾーン。あなた以外の誰にも見せないし触らせない、あなただけのものだよ。

そう言うからにはプライベートゾーンを守る下着を人目に晒して無頓着ではいられない。それはだから、当然のことなのだと思う。

一方でわたしがどうしても引っかかってしまうのは、男の子たちのことだ。
男の子たちの下着はTシャツや靴下やタオルにまぎれて、堂々とリビングの風に揺られている。

これは社会の縮図なのだと思う。
女の下着を盗みたがる下着泥棒がいて、女の下着の色を校則に定める学校があって、女の下着に性的な意味を見出す世の中がある。
女の下着はただの衣服ではもはやなくて、性的な記号なのだ。男の下着には付与されていない、大きなインパクトを伴う記号。

わたしたちは子どもたちに、当たり前に守られて当たり前に自らの生を信じられる、そんな当たり前の日常を提供したい。
彼女たちを守るためには、彼女たちを性的に消費しようとする悪意から遠ざけなければいけない。彼女たちが当たり前に守られる経験の先に、彼女たちが当たり前に自分を守れるように導いていきたい。
女の下着が、女そのものが、性的にまなざされることは理不尽だ。理不尽な社会で被害に遭わないために自己防衛をさせなければいけない、その理不尽さが苦しい。
男が堂々と下着を干すとき、女はこそこそ干さなければいけない。女も堂々と干したいという表面的な平等を主張しているわけではない。表面化したこの非対称性の後ろに潜む巨大な理不尽を主張しているのだ。

わたしが彼女たちの下着だけをこそこそと干す度に、この世界の理不尽を再生産しているのではないか。
わたしは彼女たちと彼らに、一体何を伝えられるだろう?

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