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脇役でよくない?

印象は薄いほうだと思う。
大人数の集まりでは静かに様子をみて、話を振られたら話す。自分から場を仕切るようなことはしないし、人の話を遮ってまで自己主張はしない。
だから解散した後に「あの人面白かったなー」と思い返されたり、「また会いたいなー」と思ってもらえたりということはまずないだろう。大概は「あの人いたっけな?」ぐらいのものだと思う。

そういう自分の存在感の薄さが嫌いで、帰り道にちょっと落ち込んで一人で反省会をすることもよくある。もっと記憶に残る人にならなくちゃ、って。


今日もそんな日だった。
育休から復帰して職種が変わって、はじめましての場所に参加した。ハキハキと挨拶や受け応えをすることは心がけたが、かといって特段印象に残るような爪痕を残せたわけではなく、モヤモヤっとしながら帰りの電車に揺られている。

だけど、ふっと思ったのだ。
別にそれでもよくない?って。

パンチが効いてもてはやされる存在は魅力的だが、そうあることだけが正解なんだっけ?

お互いに気持ちよく仕事ができたらそれで十分じゃない?
パンチ必要?

幼稚園児のころから存在感薄めで生きてきたわたしなので、目立つ存在に対してはなんとなく引け目を感じてしまう。ないものねだりなんだろう。
でも右も左も主役級だったら食傷気味になりそうだし、脇役も悪くないんじゃないか。そう思ったら気持ちが一気に軽くなった。え、気づくの遅すぎ?


ただここで一つ注意したいのが、存在感の薄さは軽さとはイコールではないということだ。
大きな声だけが聞かれるのはフェアじゃないし、脇役だから軽んじられてよいわけじゃない。そこのところを履き違えないように(履き違えさせないように)、存在感薄めながらもちゃんと主張はしていく所存。
おとなしいと評されがちゆえ、舐められたくない気持ちは人一倍強いんだよな。

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