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「仕方がない」は便利な言葉だ

名古屋駅に到着すると、意識を失っているひとりの男性がストレッチャーに乗せられていた。熱中症だろうか。今日の名古屋はあいかわらずで、じめじめとして陽射しも眩しかった。

それを横目に通り過ぎてゆく人々を見て、複雑な思いだった。僕もまたそのうちのひとりで、でもだからといってどうすることもできないから、考えても仕方がないことだと思った。

「仕方がない」という言葉は便利だ。そんな言葉で片付けて、何事もなかったかのようにして。それがとても悲しく思えたのだ。

あの光景を見た人々はいったいなにを思っただろう。見て見ぬふりをして誰かと笑い合っている人。電話をしている人。心配そうに見つめる人。さまざまな人がいた。そんななかでひとり、「自分にできることはなにか?」を考えていた。本当に無力ながら、「命だけはどうか助かってほしい」とただ祈ることしかできなかった。きっとあの場面で同じことを思った人もいたはず。


僕はよく「人の心配するより自分の心配をしなさい」と言われて育ってきたが、それは違うと思う。そういう人のまわりには誰もいないからだ。もし大切な人が困っていたら、なんとかしてでも助けてあげたいと思うのが人情というもの。(もちろん相手を見定めることも大事)

僕は無力かもしれない。だけど、出来ることがあるなら出来る限りしてあげたい。

悲しい世の中にはしたくないから、僕はいつだってそういう姿勢でいたいと思う。

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