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ひとりで日光東照宮に行ってきた

今日は平日休み。妻も仕事で子供は保育園で、子供を迎えに行く17時までは自由時間でした。自由時間とは言え、急な体調不良とか発熱とかでお迎えもあるので、ある程度駆けつけられる範囲にはいなければいけない感じです。

いつもこういう時は、趣味のランニングをちょっと近くの公園で1時間とかやって、普段できない買い物とかをして、あとはのんびり過ごすくらいしかできてなくて、まぁ普通に考えたらそれでも十分ではあるのですが、僕はもう動いてないといられない人間なので、そろそろもうちょっと違う過ごし方もしてみたいなーと思っていました。

とは言え、いつもであれば走るの優先(わりとちゃんと練習して、マラソンとかも出てる人間なので)にして、余った時間で何をしようか…というところなのですが、今日はそれでも違うことをしたいなと思ってました。

と言うのも、ここ1ヶ月くらい仕事でモヤモヤすることが続いていて、それによって普段もモヤモヤしながら過ごすことが多かったのです。
このモヤモヤを全て解消できるわけではないですが、いつもと違った場所とか経験をすることで、少しは晴れるかなーと思って…当日10時ごろ思い立って日光東照宮に行ってきました!

宇都宮に住んでいるので、東照宮までなら1時間以内。ギリギリの範疇ですがそれ以上は思い付かなかったので。
東照宮はたぶん小学校4年生以来なので20年ぶりとなります。

11時半ごろ現地着。平日なので…と、かなり甘く見てたのですが、思ったよりも人がいました。外国人がかなり多くて半分くらい外国人な感覚。あとは修学旅行?の学生とか。
ただ、駐車場は比較的すんなり。

僕は正直、芸術とか文化とか歴史にはめちゃくちゃ疎いです。こういう観光地はレジャーという意味で大好きですが、いつも、ほえー、くらいに思ってさらさらと流してみてるような感じでした。
結構せっかちだったり、興味ないことは興味ないみたいな性格だからかもしれません。

ただ、今回の目的は、ここ最近の仕事や日常のモヤモヤから逃れたいためだったので、いつもはさっさと見て回ってしまうようなところも、説明とか細部とか空気とか、ちゃんと感じながら見て回ろうと思ってました。

五重塔と鳥居。ついこの間見た番組で、神と仏が共存している珍しい場所だと説明がありました。細かいことはうろ覚えなのですが、明治の神仏を隔離するという政策の中で、徳川が祀られているこの場所は逃れられたという感じだったと思います。

この先は拝観料がかかるのでした。東照宮ってお金かかるんだ…とこの時思いましたが、当たり前か。1300円。

長くなってしまうので全部は書かないのですが、有名な三猿を。これも何となくしか知らなかったのですが、三猿はこのたくさんあるお猿さんの彫刻のひとつです。
このずらっと並んでるお猿さんたちは、子供が生まれてから成長、家庭を築いて子供を授かる、というストーリーになっています。建物の正面だけでなくて横にもあって、たぶんこんなんいつもの僕だったらスルーしてるだろうなと思いました。
このあと色んな建築物にも共通して言えることですが、こういう教訓というか哲学的なものを、これだけの芸術的建築物で表現するというのはすごいことだと思うし、改めて日光東照宮が特別な場所だと思いました。

出た!有名な陽明門です。
確か数年前に久しぶりの竣工が終わったところです。これも、すげぇ~とか思いながら写真1枚とか撮っていつもはスルーしちゃうのですが、今日は立ち止まってしげしげと見てみました。
前述の通り芸術はわからないのですが、わからない僕が見てもすごい。こんだけ華やかで、ひとつひとつが細かくできていて、よーく見ているとずっと見れちゃうような気がします。帰ってから調べたのですが、人の彫刻にも意味があったりして、今度行く機会があったらそういうのもちゃんと見たいと思いました。

恥ずかしながら初めて知ったのですが、東照宮って家康だけでなくて、源頼朝と豊臣秀吉も関係してるのですね。上のお神輿3機はその3名を祀った?ものらしいです。
むしろ、源頼朝の流れがあり、ここを徳川家康が選んだという経緯のようです。雑ですみません。間違ってたらすみません。

当たり前なんですが、ひとつひとつの建築物に意味があって、違った良さがあって。
あと、全体的に感じたのは、日光東照宮っていうのは泰平の世の中を祈ってできた場所なんだということ。
遥か数百年の昔から、そういう想いが建築物によって受け継がれているっていうのはすごいことだなぁと思いました。
多少は芸術がわかってきた?笑

あと、写真には納められないのですが、有名な鳴龍とか、あと207段の階段とか。杉に囲まれた東照宮はすごく神聖でこころが落ち着く場所でした。

まだ早いかなーと思っていた紅葉にも出会うことができました。

最終的には2時間ちょいくらい、のんびりとウロウロして、東照宮を後にしました。
東照宮自体のありがたみや、面白さを感じることができたし、まだまだちゃんと勉強してくれば楽しめるなとも思いました。
あとは、これは東照宮だけじゃなくて何にでも言えることなんですが、物事には必ずその創り手っていうのが居て、その創り手が絶対に何かしらを込めて作ってるはずなんですよね。仮に形骸化してるものがあったとしても、根本には絶対に何かがあって。それが、その人の感性に合うかどうかはもちろんあると思いますが、理解を放棄してしまうのはあまりにももったいないな、と感じた今回でした。
こんなん20代後半で思うなんて遅すぎるか。笑

当所の目的の、何となくモヤモヤしてるっていうのは少し晴れた気がするし、こういう体勢を見れる大人に近づけるように、芸術を楽しめるように(実際今日楽しかった)、成長していきたいなと思いました。

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