何気なく押されたように見える"スキ"に込められた想いを忘れないでいたい

つい"スキ"の数で反応を見てしまう。自分の中で自分の文章の良し悪しを判断する材料のような。少ないと、あれ微妙だったのかな、なんて。けれど"スキ"に込められた想いがあることを、忘れちゃいけないね。

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今週はどうも書きたいのに書けない病だ。いや、結果投稿できているので書けなくはないのだけれど、思うように進まないと言った感じ。内容はもちろん、言葉や文章がうまくはまらなくて焦りばかり募る。頭の中で、考えが掴みきれずツルツル滑るような。書きたい気持ちが空回り。

昨日の投稿は途中で方向転換して書き直したので、割ととっ散らかった文章になってしまった。内容的にもどうかな…フォロワー数減らないかしらと不安も抱えつつ、何度も読み直してドキドキしながら投稿した。


自分では好きだけど、これは読み手からしたら微妙なんじゃなかろうかとビクビクしながら迎えた朝。

PV数でいうと少ないけれど、スキの数は前日よりも多かった。

"あ、大丈夫だった。。"

なんだか少し、救われた気分。

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ツイッターでも深夜にちょろちょろ胸の内を綴っていると、嬉しいお言葉をいただけた。

例えば、こんなことを夜につぶやいていたら、私のnoteをよく読んでくださっている西谷こまいさんが、眠る前に読むのを楽しみにしていると言ってくださった。さらに、以前書いたnoteのことや、スキへのリアクションにも触れていて、とてもとても嬉しくなった。

"あ、ちゃんと届いているんだなぁ"

何気なく押されているように思っていた"スキ"には、きっとその想いが全部詰まってたんだよね。

いつもnoteにスキがつくととても嬉しいのだけれど、私はその"スキ"を軽んじていたのではないかと気づいた。


誰かに少なからず何かを届けられていて、誰かの隙間時間に存在できている。例えばその数が1や2だったとしても、1人でも受け取ってくれている人がいるのだと思うとものすごく嬉しいことだなと思う。

スキの数としてみると、少なくて寂しいとか、もっと反応もらえるようないい文章が書きたいなぁとか単純に思うのだけれど、少数でも「今日も読んだよ」とか「私は好きよ」とかそんな想いで押してくれている人がいることを忘れかけていた。

スキの向こうに暖かい誰かがいることを忘れかけていたのだと思う。


自分だって"スキ"をつけるのは雑につけているわけじゃない。ちゃんと読んで押したい時にしか押さない。なのになんで忘れちゃうかねぇ。


いつも読んでくださる皆様、たまたま覗いたよという方も、あなたのスキに大きなパワーをもらいました。

どうもありがとう*


#エッセイ #日記 #note #毎日投稿 #スキ #書けない時 

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