見出し画像

特別な文章が書けなくても。

あぁ、上手いなぁ、と思う。

人の文章を読んでは、ちょっぴり凹む。飽きずに読ませる上手さや、切り取り方の上手さ、自分には書けない素敵な文章。


どうして私には書けないんだろう。ちょっと考えただけでも、するりするりと欠点が浮かんでくる。だからと言って、自分の書くものがダメというわけでもない。だって、読んでくれる人がいるから。スキと押してくれる人がいるから。

それでも欲張りな私は、読んでくれる人にもっと響く文章を届けたくて、自己満足だってしたくって、そのうえ認められたくもあって。そういう厄介な気持ちと欲がちらりちらりと覗いては、「あぁ、上手いなぁ」と嫉妬する。

その割に本気で嘆いているわけでもなくって、「あぁ、上手いなぁ」と惚れ惚れするし、単純に嬉しくなる。面白いなぁ、素敵だなぁと。自分もそんな文章が書きたくてウズウズするし、ワクワクする。


あっと言わせるような優れた文章でも、ほのぼの日記でも、愚痴を吐き出したリアルな日記でも、需要はどこかしらにあって、それがnoteだと思う。特別な文章が書けなくても、綴ることを楽しめる場所。

多くの人にドカンと響く文章が書けるわけじゃないけれど、細々と楽しめることが嬉しくて、暖かくて、幸せだ。


それでもやっぱり、もっともっと素敵な文章を書けるようになりたくて、矛盾した気持ちがたまに顔を覗かせる。それの繰り返し。それも私のリアル。



サポートとても嬉しいです。凹んだ時や、人の幸せを素直に喜べない”ひねくれ期”に、心を丸くしてくれるようなものにあてさせていただきます。先日、ティラミスと珈琲を頂きました。なんだか少し、心が優しくなれた気がします。