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ながい文がよめない。

もう、タイトルにある通りです。
どうにも私は、長い文章が読めない。


本を読むのは好きだけど、ケータイで文章を読むのはあまり得意じゃない。なかでも長文が。常に読めないわけじゃない。読めるときもある。何回かに分けて読むこともある。けれど、ほとんどの場合、読むのを諦めてしまう。

よく、文章の前に目次をつけるといい、というのを目にする。これ、私には逆効果だなと思っている。目次があると、その先がいかに長いかを予感してしまうから。あ、長いんだな、と思った時点でページを離れることはまぁ多い。ちゃんと読む人にとってはわかりやすいのだろうけれど。もちろん、必要な部分だけ読むにはありがたいものだ。


どのくらいが長いと感じるのだろう。

私が書く普段のnoteは1000文字前後が多い。1000文字以下に抑えたいところだけれど、最近ちょっと長くなりがちだと感じている。

このnoteは2200文字くらい。おそらく、私のnoteで一番長いと思う。自分で読んでみても長いなぁと思う。2000文字は長い。

ケータイで見ると、スクロール2〜3回くらいがいい。おや、長そうだなぁと思ってスッとスクロールしてみてトントントンといくようであればそっと閉じてしまったりする。ごめんなさい。


内容がどうというか、目が疲れているのかもしれない。それと、ちょっとした合間に読むことが多いので、長文だと今はやめておこうと思いがちだ。なんていうか、長文は"時間のあるときにじっくり向き合わねば"と思ってしまう。そうして後回しにすると読み逃してしまうので、やっぱり目にしたときに読んでおかないとだなぁとも思う。長文は前編後編とかに分けて欲しいというのが心の声。。

とはいえ、短いとあっさりしすぎて物足りないことも。

とんだ気分屋だな、と私の中のもう1人の私が嘲笑う。

物足りないと感じたらもっとたくさん読めばいいし、長いと感じたら分けて読めばいい。無理して読まなくたっていいし、読めるときに遡って読んでもいい。


「ながい文がよめない。」

ウェブメディアに触れるようになってよく思うことだけれど、詰まった文も長い文も、無理せず心地よく楽しくマイペースに読んでいきたい。




サポートとても嬉しいです。凹んだ時や、人の幸せを素直に喜べない”ひねくれ期”に、心を丸くしてくれるようなものにあてさせていただきます。先日、ティラミスと珈琲を頂きました。なんだか少し、心が優しくなれた気がします。