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日常に埋もれていく幸せのかけらたち

たまに気になって考えちゃう。
"幸せとはなんぞや"ってこと。
それぞれの生き方があって、
それぞれの幸せがある。
そこにはっきりとした答えなんてない。
その時々でも変わるだろうし。
ただ、最初の幸せを忘れないでいられたらいいな。

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「こどもを産んでから、旦那のことはこどもの父親としてしか見れなくなった」と彼女は言う。つまり、男としては見れないのだと。

「触られるのも気持ち悪いし、もう外で発散してきてほしい」

そう言う彼女も数年前まではそれはもうラブラブで、彼の浮気を疑っては泣いていた。ほんの数年でこうも変わるのかと少し恐ろしいほどだ。なんだか切ない話だな。

旦那は良き父であり、家族としてのパートナー。
そこに愛だの恋だのはもうないのだそう。

恋は3年、愛は4年で冷めるなんて聞くけれど、どうなんだろう?

こどもどころか結婚もしていないのでわからないけれど、家族になるというのは何やら奥が深そうだ。

そこに愛だの恋だのがなくても、家族として大切に暮らしていけたらそれは幸せだなと思う。うん、それってなんだかすごく幸せそうだ。彼女が外に愛だの恋だのを求めないといいなと密かに願いながら、ぼんやりと他人の家庭に想いを馳せる夜。


本当は幸せなんて人それぞれだから考えたって仕方のないことなのだけれど。たまに気になって考えちゃうのが"幸せとはなんぞや"ってこと。


好きな人と一緒にいること?愛する人と生涯を共にすること?愛しい家族と穏やかに過ごすこと?大切な人が健康であること?暖かいお布団で眠りにつくこと?ホカホカの白ごはんを頬張ること?明日が訪れること?


結局、幸せについて考えてみたって、一つ手に入るとまたひとつ欲しくなって、もっともっとと欲張りになって、最初の幸せは当たり前になっちゃって、幸せは日常に埋もれていっちゃうんだよなと気付く。


忘れるくらい当たり前のことほど大切なんだよなぁ。
たまに自分を戒めないとダメね。
最初の幸せはいつか当たり前になっても、
ずっと胸の中にしまっておきたいものですね。



#エッセイ #日記 #幸せ #人それぞれ #人生

サポートとても嬉しいです。凹んだ時や、人の幸せを素直に喜べない”ひねくれ期”に、心を丸くしてくれるようなものにあてさせていただきます。先日、ティラミスと珈琲を頂きました。なんだか少し、心が優しくなれた気がします。