前夜とするには

貧乏人にはあらゆる余裕がなく、それはメモリ積んでないのと似た感じで、しょっちゅうキャッシュがたまる。金銭のコストをかけられないかわりに行動のコストをかけなくてはならなくなる。精神的にも余分なことを考える羽目になる。貧乏というものはとにかくコスパが悪い。
そして節約とは先細りしていくことであり非常に心身に悪い。

というわけでキャッシュたまってます。
キャッシュというかもう有り体に言って恨みと諦めだよね。
それでも諦めるわけにはいかないので書き出してみる。もう忘れておく猶予はない。ただ吐き出すだけだ。

生活困窮者支援の法律というのが何年か前から動いていて、各自治体に窓口がある。わたしも曲がりなりに社会福祉のライセンス持ちで、社会保障は専門分野でもあった。のでなんとなく自分の状況と制度利用の見通しはついているつもりだが、制度はどんどん変わっていくし運用はあくまでひとがやっている。ので結局のところ相談しないことにははっきりしないことが多い。
そういうわけで窓口に行った。知識の更新や答え合わせのつもりで。
結論から言ってわりと見通しどおりだった。
わたしは今の収入と貯蓄状況だと生保申請すればたぶん通るのだが、生保を申請すると親に連絡が行くし受給すれば今の住まいからは引っ越しさせられてしまう。生活福祉資金は状況と制度設計的に合致していない。今の生活を保つなら「節約しながらさっさと収入を増やす」しか打つ手がない。
見通しどおりだが、それをちゃんとひとに相談して確認できたことは良かった。窓口のひと、珍しくそこそこまともで良い人だったし。(相談ガチャの引きがいつも悪い)

節約というのはすべてを後回しにしていくこと、手間と負担をひたすら増やすことに等しく、まったくもって社会福祉においては求めるべきじゃないことなのだが、社会福祉というものがそもそもこの国においてはものすごく狭義におしこめられている。
だれにでもメシを食わせることが社会福祉でそれは確かに間違いないのだが、ひとの楽しみや生きがいを保障すること、自己決定や自己実現を応援することも本来含まれているべきところ、制度からも支援者からもまるっと抜け落ちていたりする。
わたしはそのことに(社会福祉職としても弱者のひとりとしても)ずーっとダメージを受けているのだが、そろそろ素直にダメージ受けてられなくなってきた。理由は単純でお金が足りなくなるから。

誰に話すのもめんどくさい。自分がひどく落ち込んで卑屈になっていることがよくわかる。落ち込んでいるのは生活があまりに不自由だから。なにもかも嫌気がさしてくる。誠実で優しくあるのには体力がいる。いまはくちをひらけば呪詛を吐き出してしまいそうだ。こういうひと(の一部)が無敵になっていく。(無敵になれないまま屍になるひともいる)
認知がゆがんでいるのがよくわかるし、地雷が多すぎることもよくわかる。誰かとうかつに話すとそのひとを嫌いになってしまいそうだ。そのひとの「ごくふつう」の態度が許せないだろうという予感がビシバシにある。すごーくしんどい。

でもこんなにしんどいよとバレると療養しなさいと言われかねないので、やっぱり隠すのが一番コスパ良いなと思う。要するに療養しなさいって言われるのが今の状況的には地雷。無茶言うな。療養させようと思うならまず金を寄越せ。
だから言われかねない言動はこちらから謹んで生きる。なんてつまんない生き方をしているのだろう。もちろんわが身を守っているのだが、この期に及んで他人なんざ地雷に巻き込んだところで別にどうでもよくないか? よくないらしいんだよなあ。いまになってもわたしは無暗にひとに怒りたくない悲しまされたくないし、失いたくないらしい。
ほんとくだらないな。くだらない。自ら首を絞めているだけだ。適応するために自分を欺くなんてほんと倒錯している。ばかげている。

恨みはどれだけ吐いても晴れることはなくて、すくわれることもなく、しょせんよくわかってもらえないなというのを延々繰り返していて、なんかもうそこに戻りたくはなかった。最近は戻らないように気を付けていた。そうなってしまうと仕事どころじゃないというか、失うものが多くてあとで苦労するから。
久しぶりに落とし穴にはまった気分だ。
ここにはいつも弾性がなく、這い上がるのに苦労した。けどいまはそこでメソメソするのもいい加減うんざりで、わたしは大事なものを踏み台にすれば、さっさとまた動けるのかもしれないなと思っている。
わたしが社会福祉に求めて信じたいと思ってきた価値観とか。
自分にかけてきた希望や自信とか。
そういうの捨てて、とりあえず転職しちゃえばよくないか。いま環境を変化させたらまたうつがひどくなる気がするが、いまのままでもどっちみち潰れる。それなら手を打つのは早いほうがまだいい。
なんにしてもそろそろ自分を欺けない。周りに対してひたすら馬鹿げているくだらない、と激しく怒っていること。怒りも保てなくなったら動けなくなる。涙はわりと最後まで出る。

この夜をさっさと過ぎてしまいたい。穴で耐えるだけの夜を二度を訪れさせたくない。前夜だったのだとその言葉だけで片付けてしまいたい。わたしはまだ生きなくてはならない。
ほんと「精神疾患と貧困は人生の二大困難だ」という説を立てた20歳のわたしは先見の明があったなあ。そのとおりだといまも思う。変わっていないよわたしは。変われやしない、そう簡単にはね。
それでも魂を穴のなかに置き去りにしてみようか、といまは考えている。案外それで楽に生きられるかもしれない。世の中そういうひとが実はけっこういるようだし。
この夜は二度と迎えたくない。大事なものを大事にできないことに、平伏しようとする夜。

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