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【過去月刊公募ガイドから抜粋】創作に励む人たちが胸に刻み込んでおきたい言葉(2012年2月号特集)

歴代公募ガイドの誌面を飾った、偉大なる作家たちの名言とアドバイス

技術

登場人物と、その置かれた状況とを、十行以内で明らかにすること。それには、三人称で書くのが望ましい。外国の面白い短編はみなそうである。
《その男が、妻に逃げられ悲しんでいると、どこからか声がした。》
二行でも、先を読みたくさせられるのだ。一人称で、《じつはネコなんて、将来性ある才能とは思えない。》
一人称だと、書きやすいようだが、読まされるほうは、たまったものじゃない。手紙は、おたがいを知った上だからいいが。(中略)
できうれば、いい友人を持つこと。まず、その人に読んでもらうのが最良。とんでもない誤字は、選者をうんざりさせる。また、ちょっとした思いちがいが、判明する。ひそかに応募したい気分はわかるが、つまらん欠点で落ちるのと、どちらがいいか。

星新一 1988年1月号掲載

純文学が日々の糧であり、アマチュアリズムに徹する姿勢が必要であるのにくらべて、エンタテインメントはご馳走であり、プロフェッショナルの姿勢に徹すべきだと痛感したのもその頃である。
(中略)プロのもの書きに――特に、ミステリ作家になるためには、まず、五百以上の過去の作品を読みこなしておこくことが絶対に必要である。
過去に書かれた傑作に、どんなトリックが使われているかはもちろんのこと、どういう伏線が張られ、どういう登場人物が描かれ、どういうテクニックが使われているかを身につくほどに読みこんでおくことである。
アマチュアが陥りやすいのは、驚天動地の大トリックさえ考えれば、ミステリの傑作が書けると思うことで、実際には、そんなトリックはほとんど書き尽くされている。むしろ、それらのトリックをどう応用したら、自分のものらしい新しい世界が描けるかということが肝心なのである。

生島治郎 1989年9月号掲載

小説というものは、精神や感性などで書くものではない。徹頭徹尾、技術で書くものなのだということに思い当った。
自分自身をさらけ出して書くとか、自分の精神を吐露するとか、大正時代の文学青年をうっとりさせるような口当りのよい言葉は、小説を書く上で何の役にも立たない。純文学であれ大衆文学であれ、一にも技術、二にも技術である。起承転結を明確に、登場人物たちの仕事の分担と出し入れ。効果を出すための文章のリズムと文飾。それらを計算しつくした上ではじめて原稿用紙に向う。それはビルを建てる前に用意される何百枚の設計図の青写真と同じものである。私はこれを仕事をしながら研究し、マスターしていった。どんな小説でもこなせる基礎技術とでもいえようか。プロに必要なものはそれだったのだ。

光瀬龍 1991年9月号掲載

応募欲

私はコンクールとかオーディションとかいうと、ダボハゼのように見境なくトライするくせがあった。(中略)
私が若いころの自分をえらいと思うのは、自分に掟をつくったことだ。掟というのは、やろうかやるまいかと迷ったときには必ずやるということだ。常に積極的に動くことを自分に課し、たとえいやでもやるほうに自分を向けていったことだ。
やらなくて後悔するよりも、やって失敗したほうがいい。失敗は貴重な経験として残るのである。私は打率の高いバッターよりも、打席数の多いバッターでありたいと思う。たくさん打席に立ちさえすれば、たとえ打率は低くても、ヒットの絶対数では勝つかも知れないからである。

ジェームス三木 1992 年4 月号掲載

就職し、やがて結婚もした。共かせぎをしなければ食っていけない上に、会社での仕事は必ずしもぼくの意に沿ったものとはいえない。こんなはずではなかった――と思ううちに、文学への情熱がよみがえってきたのである。(中略)
同人誌にも参加し、こつこつと書いては新人賞に応募したが……なぜか、予選も通過しない。
その頃、小学校時代からの友人で、司法官試験を志している男がいた。ぼくたちは、お互い頑張ろうではないか、あと三年のうちに片方は二次試験を通ること、もう一方は原稿料を月に五千円かせぐことを目標にし、それで駄目だったらまた考えよう、と、約束したのである。
とにかくどこかで採用されなければならない、と、ぼくは猛烈に書きはじめた。(中略)
それでも落ちつづけた。がっくりしていると次にとりかかるファイトがなくなるので、いくらでも送ることによって、常時ふたつか三つが発表前――という状態にし、自分を励ましたのである。

眉村卓 1987年4月発行VOL.8掲載

学校へはあまり出ず、下宿の一間で、青年の気負いから、二千枚を目ざす長編を大学ノートに書きはじめた。これはもちろん中断し、題名も変え、二年ほどもいじったが、結局はあきらめた。(中略)
その他さまざまな作品に着手したが、完成したものより、途中で投げ捨てたもののほうが多いくらいだ。
原稿用紙代がもったいないので、主に大学ノートに書いたが、投稿するには原稿用紙を用いねばならない。そこで、せめて原稿用紙代くらいは自分で稼ぎだそうと、当時多かったカストリ雑誌に、大衆小説やらコントやらをずいぶんと投稿した。(中略)かなりの雑誌に投稿し、大半が没になっている。

北杜夫 1989年7月号掲載

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特集「今年こそはという気になる! 公募に効く魔法の言葉」
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※本記事は「公募ガイド2012年2月号」の記事を再掲載したものです。