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能の「男」は、動かずに語る(実験映像あり)

2019年4月開催の「宗一郎 能あそび」のダイジェストです。(構成:沢田眉香子 ヘッダー写真:上杉遥 会場写真:河原司)

テーマは「修羅編〜『男』戦によってあらわになる人間の本性、世の不条理」3。能の「五番立」と呼ばれる上演形式「神・男・女・狂・鬼」のうちの二番め「男」は、その多くが「修羅物」つまり、戦いに生きて死んだ、武者の亡霊が主人公の話。男たちは舞台で何を訴えているのでしょうか?

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■葛桶は、上から目線の指定席

さてさて、ここからが今回の本題です。この数々の武将たちが、何のために出てくるのか? 自分の生き様、自分の事を、舞台上にいるお坊さんに聞いてほしいため、語るために出てくるわけなんですね。そこで武将は、舞台の上でどうするのかといったら、まず床机に腰を掛けるんですね。

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床机、葛桶(かづらおけ)ですね。これ、蓋があきます。本来、この使用目的は相手の大将の生首を入れるためです、、、入ってませんよ(笑)。

ここに座るのは、実は楽をするためではないです。脇座にいる話し相手との上下関係、どっちが偉いのか、どっちの方が目線が上なのか?ということを表すために腰掛てるんですね。

例えば「藤戸」という曲があります。岡山の児島での話です。佐々木盛綱(ささきのもりつな)という人の前に、「我が子の漁師を殺した」と訴えかけてくるお母さんが出てくるんです。最初、佐々木さんは、この辺に床机が置いてあって腰掛けてるんですね。そしたら、そのお母さんは、下びとですから、一般庶民ですから下に座るんですね。で、少し視線を上にやって、佐々木さんに訴えかけてくるわけですね。床几はそんな風に用いられます。

■舞わずして「座って語る」が、修羅物の基本姿勢?

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例えば「敦盛」という曲の蓮生(れんせい)法師という人が下に座って、敦盛も最初に出てきて、床几にかけるんですが、演技方法を書いた古い書物を見ると、「敦盛に限っては、下に座ってもいい」とある。つまりこれ、「同等の立場として演じてもいいよ」ということです。または「床几に腰掛てもいいよ」ということが書いてある。でも、大半の修羅物っていうのは、床几に腰をかけて語ること、というのが大筋ではないのかなと思います。

さて今日の講座では「実験をしたい」と予告しました。

「語るため」に武将は出てくる。舞うために出てくるんじゃない。ですから、生きてた時、あーだったこーだったっていうのは、本当は全て、座った状態でやるのではないのかな?と、思っています。そして、何か印象的なところだけ、ちょっと動きを交えるのではないのかな?と思っています。

例えば「頼政」という曲は、老体ですから、あまり動き回ると曲趣と合わないから後ろで舞台中央に腰を掛けた状態で、扇を使って所作をいたします。「朝長(ともなが)」に至っては、ずっと座ってるだけなんです。何にもしません。地謡が歌って、時々、下を向いたりするけど九割九分じっとしてます。「屋島」も、基本的にはじっとしていて、途中から立ったりします。「清経」も、奥さんと喋ってる間、まず最初は自分が優位だから、立ったまま喋るんですね。しかし、自分が自死したことを攻められて劣勢になって、しまいには、いたたまれなくなって(笑)、舞い出すんですね。

という風に、座って語るために出てくる。これが、僕は修羅物の本来のスタイルではないのかな?と、思ってます。しかしながら、それで面白くない。お客さんも、満を持して出てきたけどまた座ってじっとしてる。動くのか、動かないのか? 面白くないぞ、となってしまう。だから、後世に上演を重ねていくうえの工夫で、立ってその言葉に合わせて舞を舞ってゆくようになったのではないのかな?と、僕はそう思っているんです。

その古い形を残してるのが「朝長」だと思ってます。じっと座って、で、最後の最後に立って自害する場面をちょっと腹を切るって型があるが、それをするだけなんです。それまでは座ってるだけなんです。それが本来の形だと思います。

ここと、修羅道との話につながっていくんですけども、自分のことを語るため言い訳をするために出てきて、思いの丈を話します。しかし、これではなんか盛り上がりにも欠けて、何かと収まり悪く終わってしまう。だから無理矢理「修羅道の責めがやってくる、戦わないといけない」ということで腰を上げて刀を抜いて、ちょっと戦う場面を見せて「どうか最後に私のことを弔ってくださいよ」と去っていくのではないのかなと思うのです。

■シテの「動かない」語りを、実験的に上演

今日皆さんに、実験として是非見てもらいたいのは、奥さんには言い訳をするために出てきます。その言い訳の流れから、その宇佐八幡宇佐八幡宮に見捨てられて、行く末どうしたらいいかなっていうような、そして入水するまでの経緯を語っていく場面。今日は樹下さんに観世流の上演している動きのある舞をしていただきます。その横で、私はこの床几に腰を掛けて、あくまでも私の仮説ですが、修羅物はずっと座って何かやっていたのではないのかな?ということをちょっと実験的にやってみたいと思います。

謡「清経」あくまでも実験なので皆様の心の中に留めておいていただけましたら。

#動きがない方が「かえって言葉の美しさに気づくということがあります。無駄に動くよりも、じっとしているほうがかえっていい、ということが能の演出にはあるのです。

こう思ったきっかけになったのが、大槻文蔵先生の舞台で、わたしは地謡に入っていてて拝見していて、今の場面を、舞われた。

とぼとぼと橋がかりをあるいてゆかれるんですね。拝見していると、何もしないで幕のほうにとぼとぼ歩いておられる。どうするのかな?と思っていたら、ハッと止まって、そして動き出された。白いカモメが源氏の旗に見えて驚く場面から動き出された。それまでは苦悩を表すために歩いておられた。

これも年齢や芸の積み重ねでできるもので、今の私が床几に腰掛けた型をするのかといえばそうではなくて、体が衰えてきた時、キレがなくなってきた時に謡と心でみせるような舞台が、いつかできたらいいのかな、とおもったのがきっかけでした。

修羅物はあくまで中央で床几にかけて語る、最後に動気を見せて締めるという造りであるのかなと思ったので、今回は実験で、座りっぱなしということをやってみました。最後の最後に立ち上がって刀を抜いて争った様を見せるという型です。他の流儀ではあたりまえのことなのかもしれません。








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