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自己紹介。

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2017年から1年間書いたブログをこちらで書き直したもの。 僕の人となりを知ってもらえたら。
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自己紹介13。

自己紹介13。

初めて海外で働くレストランが世界12位。(現世界1位)

各セクションにつく担当者の仕事のレベルの高さに驚いた。外国の料理人は日本人と比べると仕事が雑な人が多い印象だったが、ここのスタッフは日本人より細かく清潔な仕事をしていた。

レストランミラズール。

着いたその日に案内された調理場は、今まで感じたことのない熱気と各国の言葉が激しく飛び交う、まさに戦場だった。

シェフが発するオーダーに、全員

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自己紹介12。

自己紹介12。

パリからTGVで約2時間。Sa.Qua.Naのあるオンフルールまでやってきた。

港町らしい活気の中、潮風に懐かしさを感じながらレストランへ向かう。

日本にいる時に1度、フランスに来てからもう1度CV(履歴書)やモチベーションレターのやり取りをしていた。その時の返事はNO。現状スタッフが満員だという事で断られていた。しかし、諦めることも出来ず一縷の望みにかけて足を運んだのだ。

自分で手に入れら

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自己紹介11。

自己紹介11。

10年という歳月は人を成長させる。どんなことでもそうだろう。

ただ、その10年をどう過ごすかは、その人次第だ。

僕は東京で料理人として10年を過ごし、多くのモノを見ることが出来た。

とりわけ師と仰ぐ下村シェフとの出会いは、僕の人生を語る上で欠かせない。

人生で師と呼べる人がいる事は、とても貴重で尊い事だと思う。

僕には師が3人いる。高校時代の野球部の監督でもあった井出宏さん。先生に出会わ

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自己紹介10。

自己紹介10。

ひょんな事から働き始めたイタリア料理店『Biffi Teatro』コの字型のカウンターが囲むオープンキッチンの劇場型レストランだ。

今は珍しくなくなったが、当時はここまでオープンキッチンのお店はそう多くなかったと思う。

今までクローズドキッチンで働いていた僕は初めてのオープンキッチン、しかもカウンターにかなり戸惑っていた。

話す事自体は苦手ではなかったが、調理作業という『所作』には見られると

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自己紹介9。

自己紹介9。

日々増え続ける予約の中、少しずつL'ASでの仕事にも慣れてきた。3ヶ月もすれば鳴り続ける電話にも免疫がつく。

仕事量は相変わらずだが、スタッフが増えた事もあり、段々と兼子シェフとのコミニケーションも良くなってきた。

働き始め1年が過ぎた頃。

当初L'ASで働くのは2年と決めていた。働き始める時に兼子シェフともそう話していたので、そろそろ次のステップをと思っていた矢先、兼子シェフから話を頂いた

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自己紹介8。

イタリア料理からフランス料理の世界へ戻る。

その為に1つ必ずしなければならない事があった。

自分の未熟さ故に、飛び出すように辞めてしまった『Edition Koji Shimomura』の下村シェフへの謝罪だ。

お店を辞めてから2年半がたっていた。

当時分からなかった事やシェフの想いが少しだけ分かるようになった気がするのは、自分の経験値が少し増えたからだろう。

自分のとった行動がどれだ

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自己紹介7。

カウンターのレストランにおける楽しみとは、食事自体は勿論のこと、シェフや大将と話が出来ることもプライオリティーが高いだろう。

コの字型のカウンター。目の前で料理が出来上がっていく様は、胸躍る瞬間だ。

料理人は得てして会話が苦手な人が多いが、後藤シェフは会話がとても上手く、お客様の心を鷲掴みにしていた。

料理で胃を、会話で心を掴む。

料理だけではない、人としての力、人間力が大切だとこの時実感

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自己紹介6。

自己紹介6。

ひょんな事から働き始めたイタリア料理店『Biffi Teatro』コの字型のカウンターが囲むオープンキッチンの劇場型レストランだ。

今は珍しくなくなったが、当時はここまでオープンキッチンのお店はそう多くなかったと思う。

今までクローズドキッチンで働いていた僕は初めてのオープンキッチン、しかもカウンターにかなり戸惑っていた。

話す事自体は苦手ではなかったが、調理作業という『所作』には見られると

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自己紹介5。

自己紹介5。

フランスから帰国し、また怒涛の日々を過ごしていた。相変わらず怒られてばかりだったが、フランスという目標が出来、熱は更に高まる一方だった。

1年が経ち、何となくお店の流れや料理の事が分かってきた気がした頃から、僕は少し気が大きくなっていたのかもしれない。

先輩よりも動ける自信もあり、技術的にはまだまだだったが、負けているのは年齢だけだと、同じ歳になる頃には俺の方が絶対に仕事が出来る!と根拠なき自

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自己紹介4。

いつどこでチャンスが巡ってくるかは分からない。だからこそ常に自分を整え、備える事が大切で。

『Edition Koji Shimomura』で働き始めて直ぐのタイミングで、そのチャンスは巡って来た。

3個上の先輩がミスを重ねて調理場を外された。そこで代わりに調理場に呼ばれたのだ。

自分の中で準備は出来ていた。お店がオープンするまでの期間で、下村シェフの料理は一通り把握しており(雑誌やインター

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自己紹介3。

自己紹介3。

東京を離れ、名古屋で働く。

短期的な仕事だったので、東京の家は残したまま名古屋へ向かった。まだ20歳だった僕には2ヶ月だけとはいえ、家賃が倍かかる状況は絶望的に苦しかった。

しかも名古屋では7歳年上の先輩2人との共同生活。自分のプライベートなど1秒たりとも無い。

『LA GRAND TABLE de KITAMURA』

日本人で初めてスイスの三つ星『ジラルデ』でスーシェフになった北村竜二シ

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自己紹介2。

料理の専門学校へ行くと決めてから、少しだけ野球への未練と後悔がうまれた。長く続けてきた野球を辞めることは、自分にとって思いの外大きな事件だったようだ。

ただ料理をやると決めたからには、野球では目指せなかったトップの世界にいくと自分に誓い、2年間の専門学校生活を無遅刻、無欠席、無早退で過ごす、と美容師の専門学校へ行った親友と語ったのを今でも鮮明に覚えている。

専門学校に入った当初、僕は料理人では

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自己紹介。

自己紹介。

2017年から1年間書き綴ったブログを、ここnoteに引っ越しさせます。当時の拙い文章(今も)を書き直しながら、改めて僕がどんな人間なのかを知ってもらえたら嬉しいです。

神奈川県三浦市。海からほど近く静かな町で僕は育ちました。小さな頃は地元の海や漁港、祖父の畑などで沢山の食材と触れる機会が自然とありました。

その当時は苦手なものも多く、その環境が自分にとって特別な事だとは大人になってから分かる

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