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環境に左右されない心の保ち方。

まだ仕事を始めたばかりの頃、周りの先輩は基本敵だと思っていた。

『この人達を追い抜かない仕事が回ってこない。どうにかして倒さないと。』

ずっとこのスタンスで働いてきたからこそ、人より早く仕事を覚えたし役職ももらえた。若さゆえの感覚だろうが、歳を重ねてもこの感覚でいるのはとても危険に思う。

去年までは僕もこの感覚が抜けていなかった。自分を評価する人に負けないようにバカにされないようにと必死に働き、少しでも自分を大きく見せようと努めていた気がする。写真で笑えなかったのも、そんな気のゆるみを見せたくなかったからか。

そして他人の評価に一喜一憂し、常に感情が動きながら働くので、ネガティブな時はすぐ誰かに当たってしまう。感情のはけ口にするように。そんな世界が当たり前だと思っていたが、そんなものは料理人とごく一部の職人の世界だけ。

誰かが良いと言えば喜び、悪いと言えば苛立つ。自分の評価を上げたいがために誰かを悪く言い、自分を正当化する。他人の良い話を聞けば、『いや俺も凄いんだよ』とマウンティングを始める人も少なくない。相手を下げる事でしか自分を保てない。何とも悲しい光景だ。

料理やファッションには正解はない。あるのは個人個人の価値観だ。自分の価値観で全てを判断し、違う価値観の人を受け入れられないのは何とも寂しい。ましてや相手に自分の価値観を押し付けるなんてもってのほか。自分を認められない人は、きっと他人も認められない。同じ価値観の人が集まり、傷をなめあうように愚痴を言う。

どんな些細なことでもいい。自分で自分を誇らしく思えるものを見つけよう。他人に何を言われようと、自分が自信を持てるものを。他人の目や声に揺さぶられない確固たる自分を持つ。他人の評価を気にする時間があるならば、少しでも素敵な自分になろう。

そんな人に周りは惹かれる。常に明るく幸せそうに働く人に僕はなりたいし、そんな人と一緒にいたい。

自分を保つのは、周りの環境(外的要因)ではなく、あくまでも自分自身だ(内的要因)。周りに保ってもらおうとしてはいけない。そして他人からの評価とは自分がやってきたことだ。日々の積み重ねが評価を作る。何もしなければ評価もない。評価がないことを嘆く前に、自分が何もしていないことを嘆くべき。

評価される人には必ずその理由がある。

日々を大切に一つ一つ積み重ねていこう。


皆様の優しさに救われてます泣