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調理という科学。


料理は科学だと言われることが多い。お菓子は特に材料の計量や温度管理からそう言われやすい。僕はこれに関しては半分正解で半分が不正解だと思っている。半分の正解は肉も魚も野菜も素材のことをよく知り、温度や時間の管理をすることである程度美味しいものが出来るし、その技術は共有できる。しかし僕たち料理人は素材の温度や時間を管理するために働いているわけではない。美味しいと言ってもらうために日夜時間をかけて料理を作っているので、科学だけれども温度感はしっかりとある。肉の中心温度を58度にするために仕事をしているわけではないからだ。

ただ、僕は絶対的に科学の知識と技術は必要だと思っている。理論を知っているかいなといかで、ゴールまでの道順は変わってくるし、途中何かトラブルが起きても対処しやすい。何故その調理法を使うのか、何故この温度帯にするのか、頭で理解しながら作業をするのと何と無くで作業をするのでは、その先の料理に対する考え方も変わってくるだろう。常日頃から考える癖を持つためにも自分のする仕事の意味は理解したほうがいい。

例えば僕は野球をしていたのだが、自分の体がどのように動いているか、どのような動きが得意でどのような動きが苦手なのかを知っているだけで、その後の練習への取り組みは変わってくる。鏡を見ながら自分の動きを確認したりビデオにとってみたりすると自分のイメージと実際の動きのギャップに驚くことが多々あった。しかし実際に試合などではいちいち動きは確認できない。実戦では自分の感覚を信じてやるしかない。だからこそ練習では考えながら自分の体に染み込ませる作業が必要になる。

料理も同じで、毎回同じ環境で同じように料理ができるわけではない。肉の温度を測るのは、この温度になると良い状態に仕上がる。というのを理解して体に染み込ませるためだ。毎回温度を測るだけでその状態を自分で覚えなければ、それはただの作業であり、身に付かない。そうゆう仕事をしている人は、いつもの調理場を離れ器具がなくなった瞬間何もできなくなる。それではプロとは言えないし、科学に頼っているだけだ。大切な事は科学の力を借りて自分の能力を高めつつ、精度の高い仕事をすること。そしてその先にあるものをしっかりと見据えることだ。状態のいい肉を焼くことをゴールにしてはいけない。それは機械で出来ることだからだ。


何故僕はここまでデータ化したのか

僕が料理を始めた頃はまだそこまで温度管理やデータを取る事は当たり前ではなかった。肉のキュイソン(火入れ加減)は触った感触で判断していた。しかし僕はいい状態の肉がどのようなものかも分からないのに、触って覚えろという事に違和感しかなかったし『良い火入れの状態』を言葉で表せる人もいなかった。目指すべきゴールが明確ではないのに全力では走れないしペースも掴めない。そんな状態では良いものが作れないし、非合理的だと思っていた。料理人の修行に時間がかかる事はこの辺りも関係していると思う。

2〜3年働いた頃、食材の温度管理が一般的になってきて目安が出来てきた。『〜度で火入れした〜』というのがすごく流行ったのを覚えている。この頃から肉を焼くようになってきた僕は、自分で温度を測りながら肉の変化を調べていた。例えば豚肉。ピンク色のあの肉が白くなり始める温度は一体何度なのか?58度で火が入ると言われていたが、果たしてそれは本当なのかを検証していた。

45度くらいから始めて、一度刻みで温度をあげながら断面をカットして確認する。豚肉に関して言えば50度くらいまでは見た目の変化はほぼない。

52度を超えたあたりで明らかに肉の色が変化し始める。透明度が低くなり、白身を帯びてくる。55度あたりでかなり加熱が進み、58度では細胞が収縮する。60度を超えると完全に白くなり、明らかに火が入った事が分かる。(僕的にここは入りすぎ)触った弾力もそれぞれ違う。50度以下ではかなり柔らかく、55度あたりから弾力が出始める。60度では明らかに硬くなり弾力はなくなる。

温度と見た目と感触。この全てを頭で理解した上で肉を焼くと、頭の中には常に肉の温度変化のグラデーションがあり、求める状態への精度は段違いに上がる。こうゆう説明を若い段階で知っていれば、肉を焼く技術は格段に上がりやすくなる。

ゴールをイメージできるかどうか。

これはどんな仕事でも同じだと僕は思う。そしてゴールが明確なら、そこに至るまでの経緯を自分で考えながら調整ができる。短時間で仕上げるべきか、長時間かけるべきか。自分が求めるゴールのために、どの技術を選択するのか。

技術や知識は活かすもので、それ自体はゴールにはなり得ないと僕は思っている。

58度に肉を仕上げるというのはあくまで技術と知識で、それをどのように食べてもらうか、表現するかが大切。ここを間違えてはいけない。

そして技術や知識は共有する事で全体の精度を上げる事ができ、なおかつ共通言語ができる。同じ感覚や意識を共有できると、その後の仕事は格段にスムーズに進むようになり、そこからの発展も各々でできるようなる。同じベースの技術と知識がある事で、その上に個々人の感覚や感性が乗る。そこで初めてその人の色が現れる。

チームを本当の意味で活かすには、この個人の感性を引き出さないといけない。そうゆう意味で調理とは科学だと僕は思っている。これを駆使しない理由は僕には見当たらないからだ。そして理論だけではなく、心の温度感まで伝えなければならない。技術や知識に溺れる事なく、その先にいる人や、届けるべきシーンを常に考える。

調理には科学が。料理には愛が必要だ。どちらもあるのが一番。

僕はこの調理の科学を伝える事で、少しでも料理というもののハードルを下げ、もっと気軽に美味しいものを作れる環境を生み出したい。

僕たち料理人は料理を褒めてもらいたい。それは仕事で作っているからだ。自分の仕事を褒めてもらえるのは本当に嬉しい。

でもそれ以上に日頃料理を作っている人たちは褒めてもらいたいと思う。毎日料理を作ってもお金がもらえるわけではなく、感謝の言葉もあまり言われない。終いには文句を言われる時もある。そうなると料理を作りたくなくなってしまう。

僕が言うのもなんですが、料理ってめんどくさい作業がとても多い。仕事なら頑張れるけれど、プライベートなら頑張りにくい。だからこそ僕は家庭で作ってもらったものには心から感謝している。お金を払わずに料理を食べれるなんてある意味奇跡だと思う。そしてもっと料理を楽しいと思ってもらいたい。その為に自分の持っているものをオープンにして、少しでも多くの人に料理を楽しんでもらいたい。

そんな思いからレシピの本を作りました。少しでも多くの人に届けられるように頑張ります。発売は2019年1月30日予定です!


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