sens et sens という芸術

料理は芸術である。

よく言われる事ではあるが、僕自身はあまりそう思ったことがない。レストランは美術館ではないし、料理自体は芸術と言えるほど崇高な空間で食べられるわけではないからだ。美術館には独特の空気と時間が流れている。それは人々の背筋を伸ばし、絵画や彫刻に静かに向き合わせる力が存在する。だからこそ芸術は芸術足り得ると僕は思う。

しかし今日初めて足を踏み入れた菅井悟郎さんのsens et sensは美術館であり、その料理は芸術だと思った。料理が特別な芸術のような趣向が凝らされているわけではない。華美な装飾はなく潔いほどにシンプル。しかし、お店の空気と料理、菅井さんの佇まいは芸術そのものだ。料理がただ美味しいとか、お店の雰囲気が素晴らしいとかそんなレベルではなく、そもそも食とはなんなのか、料理とはなんなのかという話から始めなければならない。



食とは生きる上で絶対的に必要な存在で、誰もが必ず必要なものだ。生き延びるための単なる栄養補給から人々は食事へとそれを進化させた。そこからさらに嗜好性の高いガストロノミーと言われるものが生まれたのだが、それのことを人は芸術と呼んだりもする。しかしそれはある一部を除き芸術の域には達していない。これは間違いないと言える。

しかし菅井さんの店は全く違う。詳しくはホームページを見てもらえれば分かるが完全に異質だ。今の時代の流れや流行り廃りとは全く関係のないところで戦っている。基本的に一人でしか行けない。瞬間的な撮影のための電子機器以外は使っては行けない。テーブルにもおいてはダメ。写真もすぐに撮る以外は許さない。

普通ならありえない。というのはここまで拘れない。どうしても流されてしまうのが人間で、お客様に合わせてしまうからだ。でも菅井さんは拘りを貫き通している。その姿勢こそが芸術を生み出している。この人の生き方が芸術だと僕は思う。

食事の時間はどんどん短くなっている。忙しさにかまけて数分で済ますだけの栄養補給であったり、食事と言いつつも会話のための潤滑油であったり。食事そのものに静かに真摯に向き合う時間は現代社会ではほぼ不可能に感じる。常に脇にあるスマホもその原因の一つ。仕方がないといえば仕方がない。それが現代社会だ。


ただこの店には、自分自身と向き合い、料理と向き合い、確かな幸せを感じる時間がある。もちろん幸せの形は人それぞれだが、食事と心から向き合うことで得られる本物の幸せは他では体験できない。


静寂だけど静寂ではないお店の空気、静かに流れる音楽がお店の雰囲気を漣のように作り出す。背筋が伸びる感覚は美術館のそれと重なる。キッチンから聞こえるサラダを和える音さえも最高のBGMだ。やれることといえば本を読むか自分と向き合うこと。できれば自分と向き合う時間にしてほしい。

出てくる料理はとてもシンプルだ。サンドイッチとサラダ。ただそれだけ。ただそれだけを静かに食べる。サンドイッチは生ハムとチーズ、バターだけ。それをかじる音が頭の中で響く。静かに少しづつパンが生ハムやチーズ達と混ざり合っていく。バターが溶けて口どけがなめらかになる時に旨味が口いっぱいに広がる。なんて幸せなのか。その幸せを感じれるのもこの空間だからこそ。

パンが口の中から無くなる前にサラダを頰張る。ドレッシングの酸味とサラダの瑞々しさがパンに潤いを与える。パンに挟まないのは、パンの食感を変えないためか。挟んでしまうと水分でパンの状態が変わってしまうからだろう。一口パンを頬張るごとにサラダを運ぶ。葉物のサラダに人参のラペ、紫キャベツのピクルスにセミドライのミニトマト。サラダは潤いを、人参は楽しい食感を、紫キャベツはほのかな甘みを、ミニトマトは溢れる旨味を添えてくれる。それぞれがパンの違う一面をすくい上げる。口の中は幸せで溢れかえる。

素材の味を、食感を、香りを一つ一つ確認する穏やかな時間は、こんなにも素晴らしいものだったのか。瞑想しているかのように自分の身体と向き合える。丁寧に作られたタルトシトロンとコーヒーが幸せの終わりを感じさせるが、それもまた素晴らしい。そんな贅沢な時間を過ごせる菅井さんの芸術作品だ。当たり前に見えるその芸術(料理)から作者の想いを、メッセージを受け取るべきだろう。


膨大な情報の中で生きる僕たちは、もっと自分の身体と心に向き合い、自分の事を感じなければならない。日々の食事を当たり前に過ぎ去らせてはいけない。死ぬまでに何度も食事をするけれど、そのうち何度の食事を記憶に残すことができるだろうか。


幸せな時間はすぐそばにあるが僕たちは忘れている。日々の食事の中にある。食事という当たり前の行為の中に幸せがある事を忘れてはいけない。僕たちは食事をするだけで幸せになれる。そんな当たり前のことを思い出させてもらった。


決して万人に感じてもらえるとも、理解してもらえるとも思わない。菅井さん自身もそうだろう。だから中途半端な人には行って欲しくない。明確な意思を持って、自分と食事と向き合うためだけに行ってほしい。

ただそれが出来れば、きっと一生記憶に残る食事になるだろう。そんな菅井さんの芸術に触れられて僕は心から幸せだ。


もう一度言う。決して万人うけはしないが、圧倒的な体験がそこにはある。


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