自己紹介4。

いつどこでチャンスが巡ってくるかは分からない。だからこそ常に自分を整え、備える事が大切で。

『Edition Koji Shimomura』で働き始めて直ぐのタイミングで、そのチャンスは巡って来た。

3個上の先輩がミスを重ねて調理場を外された。そこで代わりに調理場に呼ばれたのだ。

自分の中で準備は出来ていた。お店がオープンするまでの期間で、下村シェフの料理は一通り把握しており(雑誌やインターネットから得られる情報は全てインプット)あの料理には何が必要で、この料理は何がポイントなのか。言われるよりも先に動き、感じ、『使えるやつ』になる。

大した期間一緒に働いていない僕が、料理の事を把握し次に必要な物を用意する姿は、下村シェフにとっても他のスタッフにとっても予想外の事だったろう。僕はサービスの期間をすっ飛ばし調理場でのポジションを自力で掴み取った。

とはいえまだ2年目だった僕は大した事が出来るわけでもなく、賄いも上手く作れなかった。毎日朝から晩まで働きっぱなしで、休憩など夢のまた夢。罵声を浴びせられながらも、反骨精神と野球で培った忍耐力でなんとか下村シェフに食らいついた。

オープンから2ヶ月が経つとお店は急に忙しくなった。そこからは僕が辞めるまでの2年間全ての日が満席だった。週7回の雑誌の撮影や、夜の営業が終わってからの試作。ただでさえ過酷だった毎日が、さらに輪を掛けて忙しくなる。辞める人も少なくなかった。

泣きながら働き、逃げたくなる時も多々あったが、なんとか続けられたのは、下村シェフの料理が本当に好きだったからだと今は思う。

食材を真っ直ぐ切る。丁寧に皮を剥く。ソースを綺麗に流す。

当たり前の事ほど厳しく強く怒られた。

皿の淵に少しでもソースが跳ねれば、その料理は一から盛り直し。お皿に指紋がついているなど問題外。毎日忙しくギリギリの中でも、一切の妥協なく、情熱的な仕事をしていた下村シェフの姿は今でも鮮やかに蘇る。

時代は変わったが、料理にかける情熱はいつの時代も変わる事はないと思う。

世界に通用する技術を身につけろ

当時から常々言われた大切な言葉。言葉の壁は大した壁じゃない。技術があれば何処でもコミニュケーションはとれる。

僕が初めて体感した世界は、料理人三年目にスタッフみんなで行った旅行先、フランスだ。

初めて降り立った異国の地の風は日本のそれとは違い、僕の周りに新しい何かを運んで来る。

初めての海外フランス。こんなにも早くこの地に来れるとは思いもしなかった。

Edition2年目の夏。怒涛の日々を過ごすスタッフに下村シェフからの最高のプレゼントだ。

下村シェフの若かりし頃。当時働いていた『オーベルジュドスズキ』の鈴木シェフにフランス旅行へ連れて行ってもらった様に、僕達もフランスへ連れて来てもらった。

一夜漬けのフランス語では大した事は分からなかったが、現地に身を置いているという事実が、僕を少し大人にした様な気がする。

ただ、あまりの嬉しさに色々なものを食べ過ぎ、体調を崩した事は笑い話としてはなかなかに悔しい思い出だ。『ピラミッド』というレストランでの研修も、『ピック』での食事も全てなくなってしまった。

しかしこの経験が後にフランスに再び来る!という決意となった。

当時色々な星付きレストランへ食べに行ったが、どこもピンと来るところは無く、唯一記憶に残ったのは『アガペ』というレストランだった。その時のシェフ、ベルトラングレボーは今は誰もが知っている『セプティム』というレストランのシェフだ。彼の料理は鮮明に覚えていて、食材の組み合わせや味のバランスが自分に馴染んでいた。他にもパティスリーを数多く巡り、ビストロで食べたブーダンノワールに感動し、ベタにエッフェル塔へも登ったりした。

当時10人弱のスタッフの航空代、旅費、食事代、そして個々へのボーナスと、考えられないほどのお金を掛けてでもスタッフにフランスを経験させたいと思った下村シェフには、本当に頭が上がらない。

今後自身のお店を持った時、同じ様にスタッフをフランスへ連れていけるだけの自分になりたいと思う。




今一緒に働いてるスタッフの一人はフランス行きを目指している。若干24歳の女の子。ザ料理人といった女の子だが、心の底から応援したいと思っている。海外生活は人を成長させる。技術は日本でも学べるが、文化や価値観はその国へいかなければ学べない。料理だけではなく生きるとは何かを感じてきてほしい。

僕の後輩たち4〜5人が今年中に海外へ行く。しかし皆悩みはお金がないこと。僕もそうだった。ただお金はいくらでもどうにでもなる。後輩たちには本当に困ったら連絡してくれと伝えている。やる気をお金という理由でなくすのは本当に勿体無い。

お金は帰ってこようがこまいがどちらでもいい。それくらい未来の明るい後輩たちを応援したい。当時の自分がそうしてもらったように。

来年の今頃が楽しみだ。


皆様の優しさに救われてます泣