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父の日に思う事。

前回のnoteでは、料理の世界で結果を出すために色々なものをやめて突き進んできたと書いた。自分で言うのもなんだが、本当に駆け抜けてきた13年だ。何故ここまで走れたのか。それは野球を諦めたことが一つの要因になっている。

父は野球が上手い。身長制限がなければプロになっていたと豪語している。父に何を言われたわけではないが、僕も自然と野球を始めた。高校まで続け大学でもやろうとセレクションまで受けた。しかし僕はここで受かることなく野球を諦めた。単純に自分には縁がないと思ったからだ。そんな僕に父は何も言わなかった。お前が選んだならそれでいいと。

しかし料理を始めて少し経ち、母に野球を続けてても良かったかもなと話した時に、『お父さんは浩二が野球を辞めて本当に悲しそうだったの。きっと自分の代わりにプロになって欲しかったのかもね』僕がプロになれる可能性はほとんどなかったと思う。それでも父は僕の野球をする姿をもう少し見たかったのだろう。

この時僕は、野球では結果が残せなかったが、料理では絶対に結果を出すと心に決めた。この想いがあったからこそ今があると思っている。両親に自分の料理を食べてもらいたい。この一心でフランスでも突き進んでいた。


しかしこの夢は叶う事はなかった。


フランス修業時代に父が急死したのだ。本当に突然で、今思い出しても心がきゅっと締め付けられる。フランス時間で10時27分。姉からのLINEで父が倒れたと知る。その30分後には帰らぬ人となった。ヒートショックによる湯舟での溺死。健康には全く問題はなかった。突然の父の死に心が歪んだ。すぐに仕事を抜けさせてもらい、日本行きのチケットを買う。そこから日本へ帰るまでの記憶がほぼ無い。16時間もかかるフライトをどんな気持ちで過ごしたかを思い出したくないだけかも知れない。記憶があるのは地元の駅に着き、家へ向かい、父の棺の前で顔を合わせた時だ。

顔を見るまでは夢だと思っていた。何かの間違いだと。しかしそんなものはただの幻想で、現実は残酷。父の冷たい顔に涙が止まらなかった。父の死から二日。僕が帰るのを待っていてくれた。明日には告別式。甥っ子たちの笑顔だけが救いだった。

人はいつか死ぬ。そんな当たり前のことを突きつけられた。もっと早くシェフになっていれば。そうすれば自分の料理を食べさせられたのに。そんなたられば頭から離れなかった。



そんな僕も今はシェフになり、母や家族、沢山の方に料理を食べてもらっている。業界での評価も頂き、ある程度の成果は出せた。父には料理を食べてもらえなかったが、その分この先の人生で多くの人に自分の料理を食べてもらいたい。少しでも幸せのお手伝いを出来たらなとこの父の日に再確認した。そんなお話。


今両親が元気な方はどんな形でもいいので親孝行をしてもらいたい。ありがとうの一言で良い。伝えれるうちに感謝の気持ちを。


父のお陰で今の僕がいる。きっとこれからも走り続ける事が出来る。


いつか父に再開出来たらその時は僕の料理で宴を開こう。


親父、いつもありがとう。


皆様の優しさに救われてます泣