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自己紹介10。

ひょんな事から働き始めたイタリア料理店『Biffi Teatro』コの字型のカウンターが囲むオープンキッチンの劇場型レストランだ。

今は珍しくなくなったが、当時はここまでオープンキッチンのお店はそう多くなかったと思う。

今までクローズドキッチンで働いていた僕は初めてのオープンキッチン、しかもカウンターにかなり戸惑っていた。

話す事自体は苦手ではなかったが、調理作業という『所作』には見られるという意識がなかった為、始めはかなり苦しんだ。

何よりもイタリア料理という今までと違う仕事の流れもそれに輪をかけた。

更に追い討ちをかけられたのは、初めて経験した『お客様がはいらない』という時間。

新規オープン、地下の店、シェフも有名だとはお世辞にも言えなかった。イタリア料理の店なのに、フレンチテイストのものが出てくる。全てがチグハグで、スタッフ間にも不協和音が生じ始めた。

やる事がない時間が増え、やる気も無くなる環境。

もちろん環境のせいにしてはいけないし、自分を強く持てば良いだけの話だが、まだ若かった僕はその環境に完全に侵されていた。

休憩時間があれば寝ているような、自堕落な毎日を過ごしていた。

そんな中、知り合いがフランス行きの話を僕にくれた。パリでシェフとして働かないかというものだった。(ここでのシェフは料理人という意味合いだったはずだが、僕はトップとしてのシェフと勘違いしていた)

フランスへは行きたいと思っていたが、余りにも急な話で。しかもまだ自分は肉も魚も焼けないし、何も出来ないと思っていた。

結局踏み切る勇気はなく、僕は話を断った。

いつでもそうだが、チャンスはいつ巡ってくるか分からない。明日かもしれないし、一年後かもしれない。そんな時に準備ができていない事でチャンスを逃してしまうし、チャンスだと気付かないまま終わってしまう事もある。

その話を断った次の日から、僕は今出来る全ての事をやろうと決めた。

デザートを担当していた事もあり、ベースになる生地(ジェノワーズやマカロン、サブレやダコワーズなど)は全て当時からお世話になっているお菓子の師匠に教わり、ひたすら作っていた。

他には賄い用に自腹で肉や魚を買い、おろすところから焼くところまでを全て自分なりに考えながらやり、実際にスタッフに食べてもらいながらフィードバックを貰っていた。

その甲斐あってスタッフが入れ替わるタイミングでストーブ前で仕事を出来るようになった。

キッカケは人それぞれだが、それをキッカケに出来るかどうかは自分次第。

迷ったら、厳しい方を選ぶ。高校時代の野球から学んだ事。

しかしお店は一向に忙しくなる気配がなかった。


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イタリア料理とフランス料理の違いとは?

色々な考え方があるが、僕の中では地方性を守るのか、新たな価値に変えるのか。の違いだと思っている。

その土地に根ざしたものを大切に変わらぬ為に守るのが僕の中でのイタリア料理(色々な意見があるが、それは置いておく)いわゆる『マンマの味』だ。

僕の中のイタリア料理は、シチリアとウンブリア。海と山の2種類のイタリア料理が僕の軸になっている。

その軸を作ってくれたのは、後藤裕司シェフ(現広尾メログラーノオーナーシェフ)

3人目のBiffi Teatroのシェフだ。

明るく陽気な人柄で、イタリアでは鮨も握っていた様なユーモア溢れるシェフだが、作る料理は骨太で心底美味しい。

後藤シェフとの出会いで僕はイタリア料理というものを本当の意味で学ぶ事が出来た。

シェフが変わる事でお店が変わる。

そんな変化を目の当たりにできた事も大きかった。後藤シェフになった途端にお店は忙しくなった。カウンターでお客様の心も胃袋も掴む。

その話術にキャラクター、料理。全てが後藤ワールドだった。

そんな中ストーブ前で仕事が出来たのは、ぼくがオープニングスタッフだったからなのと、後藤シェフの優しさだろう。

お店が忙しくなり、イタリア料理らしくパスタの種類も増えた。手打ちが4種類、乾麺が3種類。7種類のパスタを作る。パスタを茹でる場所は4つしかない。

温かい前菜、パスタ、リゾット、魚、肉をやりながら、4つしかないパスタボイラーで7種類のパスタをやりくりする。

今の様に肉を低温でゆっくり火を入れるというのが一般的ではなかった頃。オーブンと火口を全て使いながら、自分のコンピューターを信じて千手観音の様に手を動かす。刺激的な毎日だった。

そんな忙しい最中でも、カウンターのお客様から見られている、話しかけられる中で所作を意識しながら。

頭と身体を同時に使う事で、僕の仕事の能力は爆発的に育ったと思う。

限られた時間の中で優先順位を決めて、秒単位の仕事をこなす。料理を作りながら、お客様のお皿を下げながら、料理を運ぶ。

全ての時間を把握して無駄なく動かなければ到底間に合わず、終わらなかった。

そんな中でも今まで通り、肉や魚の練習をしながら、後藤シェフと賄いまでトコトン拘った。

料理人としての能力は、間違いなくこのイタリア料理時代に育てられ、タイムマネジメントという感覚もこの時期に鍛えられた。

イタリア料理を始めて2年が過ぎようとしていた。



皆様の優しさに救われてます泣