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最近抱き続けていた違和感の正体



どうも。藤原です。



最近なんだかイマイチ調子が出ません。



僕の近況としては、僕が一応管理人を務めさせていただいている(本当に名ばかりですが)リバ邸箕面もオープンから2ヶ月経ち、オープンすぐに定員に達し、程よい距離感で互いに接することのできる住民たちにも恵まれ、またそれキッカケで色んな人に興味を持っていただき、遊びに行きたいという人が増えてきて全く面識のない方々から僕のTwitterにリプライやDMが来たりと、ありがたいことだらけ。

オマケに博士課程進学後のビジョンも徐々に見えてきたし、それ関係で会いたい人に会ってもらったり、あるご縁で面白い授業を履修することになったり、さらにお誘いをいただいてピッチイベントに登壇することになったり(詳細はおいおい書きます)、大好きな麻雀をやる友達も増えてきたり、地元の友達にも集まりに呼んでもらったり(これは本当にありがたい)と。


挙げてみると本当に、なんで不調っぽく感じるのかナゾですね。恵まれすぎでしょ。

いや、裏を返せば、恵まれてるからこそ、日に日に

あれ、俺なんもしてなくね?

みたいな気持ちになっていくのかな。


フワッと、あえて誤解を恐れずあえて表現すると、僕は幼い頃から弁の立つ子どもでした。家が漫画とかゲームで溢れてましたので、必然的に創作物に触れる機会が多かったおかげか、同年代が知らないような表現を大人相手に使って、よくそんな言葉知ってるね〜、と言われることを楽しんでました。

それを引きずった結果、人と話して、相手の欲しい言葉とかリアクションをあげることが得意になりました。このおかげで、初対面の人には「初対面じゃないみたいだね〜」って言ってもらうことも多いし、人間関係で悩んだ経験もありません。人との距離感を取るのが比較的得意なので、上手く付き合えない人とも出会ったことはありません。

また、それによって自分が言いたいことが言えない・・・!なんてことも特になく、別段我慢してることもありません。言いたいことはちゃんと表現しているつもりです。その表現の手段とかのチョイスが比較的得意だということです。


ですが、反対に人と話さないシチュエーション、例えば1人で本を読むとか、1人でご飯食べるとか、1人でもくもくと作業するとか、そういうことが本当に苦手なんです。

今までは、人と会う時間と1人でいる時間とが絶妙なバランスで保たれていました。適度に1人でいる時間(普通の人よりは短いと思いますが)も取れていたように思います。

ここで勘違いしてほしくないのが、シェアハウスに入居したことが原因じゃないってこと。むしろ逆で、今の段階で不調に気付けたのは非常に大きいことだと思ってます。

言い訳にしたくないし言い訳のつもりではないんですが、思い返せば今までずっと不調だったんだと、最近になってようやくそれが自覚できるようになったんだと。


「言葉はその人間を形成し得るツール」だということを地で信じている僕は、基本的にネガティブなアウトプットの一切を絶ってます。僕の前で「最悪だ〜」なんて言った日には、「最悪じゃない。最悪なことはもっとある。大丈夫だ。」なんて、軽い気持ちで言った言葉に訂正を求められるので注意してください。

これは冗談ではなく、目の前の出来事に対して評価を決めるのは自分の言葉・姿勢・仕草・表情だと考えています。なので、辛く苦しいときこそ口角を上げて、背筋を伸ばし、「最高の気分だ」と笑い飛ばせる人間として生きています。

これは我慢ではないので誤解のなきように。僕はずっと改善を求めているんです。悪いことが起こったときに落ち込んだアウトプットをするともっと悪くなることが多いんです。よりよくするためにはまずはアウトプットから。僕が心がけていることです。


話を戻します。僕は日々ずっと、今より良くなる/良くするために自分が動けることを考えているのです。良くする対象は自分であったり、友達や家族、今で言うと同居人であったり、周りの人々。感謝の気持ちも忘れたこともありません。


だからこそ。


だからこそ・・・。



だからこそ、もっと良くするためにどうすれば良いのか。難しい。なんせ今がとても良いんです。コンフォートなんです。

ちょっと前まで持ってた、鬱屈とした社会に対する不満や怒りといった負のエネルギー。物事を前に推し進めるガソリン。

水清ければ魚棲まず、なんて言葉があるように、今僕の中を流れる血液はキレイでサラサラなんです。ドロドロ要素一切無し。


が、それが故に、赤血球が足りないばかりに、なんともタンパクに、なんとも薄味な仕上がりになってる。

不満がないことに対する焦燥感があるんです。怒りがないことに対する困惑があるんです。なんと贅沢なことなんだろう。自分でもバカだと思います。


僕はヒトもモノもコトもキモチも、なんだか良く分からないのが好きです。僕に「良くわかんないな〜」って言われたら褒め言葉なので喜んでください。

ただ最近の生活は、あまりにも分かりすぎて、それがまた、良いことなんだろうけど、なんというか、今のモヤモヤを生み出している原因なのでしょうか。


とはいえ、自分がやっていることはちゃんと前に進んでいるし、困ったときに助けてくれる人は周りに大勢いるし、本当に一体、何が不満なんだ。こんなに幸せなのに。


現代美術家の会田誠は自身のエッセイで、ホームレスの人が正直羨ましいと感じることがある、と書いていたのを読んで、不覚にも共感してしまったんです。


どんな状況でも笑い飛ばせる自分の癖は、ちょっと前までは他人に比べて秀でている部分だと思って誇りに思ってたし、事実それで他人を勇気付けることができると思ってた。今でも少し思ってます。

ただ、今はそれが少しだけ足枷になっていることもまた事実。

昔から物分かりが良いのも同様に、このあまりにも重い気分の一端を担ってるんだろうと予想します。



noteは、Twitterに比べて少しだけプライベートな場だということを承知して敢えて言います。


あゝツライ。幸せでツライ。鬱屈としたパワーを蓄えることができなくてツライ。渾々と湧き出る清い血液がツライ。絶望できなくてツライ。未来に希望があるのがツライ。毎日楽しくてツライ。何一つ諦めることがないのがツライ。腹が満たされるのがツライ。喉が潤うのがツライ。身体が洗い清められるのがツライ。辛くないのがツライ。


これだけツライって書いたのに、僕の健やかな精神は廃れることなく、僕の中で燦然と輝き、暗澹たる精神を漏れなく照らし続けるのが何よりもツライ。



これから調子を上向きにするために、11月はもう少し本を読む時間を増やそうと思います。思いつきで本を買いまくっているので、読む本には一向に困りません。

来年1月とか2月あたりには皆さんに面白いモノが見せられると思います。それまで頑張ります。やり場のないこのモヤモヤももっと大きなものにします。これはこのまま、名前もつけないまま育ててあげよう。せっかく僕の元に生まれ落ちたこの感情を大切にしよう。


これからもよろしくお願いします。まだまだ強くなります。カッコ良くはないけど、面白いとは思います。乞うご期待。





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