専任教員と"Bullshit Jobs"

ブルシット・ジョブの広がり

去年あたりからにわかに盛り上がっている用語、「ブルシット・ジョブ」。これは人類学者D・グレーバーが提起した概念であり、これに「クソどうでもいい仕事」というナイスな訳語を当てた訳者の酒井隆史氏は、「なぜ「クソどうでもいい仕事」は増え続けるのか?――日本人のためのブルシット・ジョブ入門」で、グレーバー自身によるやや細かい定義を参照したうえで、

BSJ〔ブルシット・ジョブのことです〕とは、当人もそう感じているぐらい、まったく意味がなく、有害ですらある仕事であること。しかし、そうでないふりをすることが必要で、しかもそれが雇用継続の条件であること

だとしている。そしてまた、酒井氏は”bullshit”に「不必要」という意味だけでなく「うそ」や「でたらめ」という意味も込められていることから、

少しくだいていうと、こんな仕事なんて意味がないと、それをやっている人間も多かれ少なかれ感じているが、しかし、それはいわないことがお約束になっているといった、そんな状況がBSJにはつきまとうのである。

と言っています。このように、「ブルシット・ジョブ=クソどうでもいい仕事」とは、当人が「意味」ないし「やりがい」を全く欠いた仕事であるばかりか、他者によっても「無意味」だと思われているにもかかわらずしなければならない、賽の河原の石積にも似た、報われることのない苦行であり、退屈極まりない仕事のことです。

犠牲とやりがいと『バトルスタディーズ』

仕事・労働に何らかの「やりがい」を見出している人は多いと思います。大変なことが多い仕事であろうとも、その努力や苦労という犠牲の分だけ、「やりがい」や「面白さ」といったような「仕事の価値」を感じる人は多いでしょう。

最近読んだ漫画を例に挙げます。PL学園野球部をモデルにした「なきぼくろ」氏の漫画『バトルスタディーズ』(講談社、連載中)には、「DL学園」での時代錯誤で無意味に見える数々のルール(お菓子禁止など)や雑用が、多々描かれています。DL野球部の新入部員たちは、どう考えても理不尽なルールや雑用に耐えきれずに悪態をつくのはもちろんのこと、最悪の場合は、逃げ出したりします。

しかし、おそらくこの作品の一つのピークである10巻の兵安高校戦で、3年生で主将の烏丸学は、自分たちの1年生時代の「ゴキブリ生活」、そして春のセンバツで兵安高校に負けたことを思い出しながら、次のように言います。

でもワシ思うんじゃ/世話してくれる下級生…/必死に働いてくれる親…/毎日一緒に汗流してくださる首脳陣のかたも…/ワシらが勝ちゃあみんな笑う

DL野球部員は全寮制でほとんど親にも会えません。頼れる主将である烏丸にも、親と会えないことの心細さはあるのでしょう。しかしそのような寂しさも親の苦労も、「勝利」によって贖われるのです。このように、犠牲とは「やりがい」のスパイスであり、ソースです

大学教員と「クソどうでもいい仕事」

私は「研究者」に対してそのような「価値」を見ていました。すなわち、未知のことを探求する知的好奇心に導かれて「研究」という労苦を行う職業に、漠然とした憧れを抱いていました。

しかし、自分が大学院に進学して知ったことは、現代日本の大学の専任教員もまた、実は「クソどうでもいい仕事」と無縁でないばかりか、むしろ、それが中心的な業務だということです。研究費を獲得するための書類作成はまだいいほうだと思いますが、そのほかにも教授会の資料作成や授業の報告書などは教員の仕事です。忙殺された教員からその指導下にある、大学院生に報告書の作成の下書きを依頼されることもあります。

先ほど言及したグレーバーの別の著作『官僚制のユートピア』によると、「クソどうでもいい仕事」が生まれる背景には、情報の「透明性」のためにあらゆることが書類に記録されなければならないという「官僚制の全面化」があると言います(皮肉なことに”現実の官僚制”では、しばしば「記録」が消えるのですが……)。つまり、研究費の使い道が正しいか、正しい手続きで成績評価や採用などがなされているかなどなど、重要な面もあります。

しかし、「クソどうでもいい仕事」が教えるのは、犠牲は何らかの「大義」(目標)に結びつけられなければ徒労に終わるという事実です。それでは、「研究者」である大学教員にとっての「大義」とは何でしょうか。それはもちろん「研究」です。もしも学内行政や書類作成に忙殺され、「研究」ができない場合、それらの仕事は「意味」を失うわけです。

正直に言うと、私は現在のような大学教員の姿を見ると、少し悲しい気持ちになります。大学教員の先生方の姿は、私の目から見ても「魅力」に陰りが出ているからです。もちろん研究者として大学教員になることは、最も成功したキャリアです。しかし、「ブルシット・ジョブ」が避けられない現在、そして将来、大学教員はどうなるのか。私は少し心配です。

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