文系ポスドクのサバイブ術①武器編

こんにちは。「生活」にあっさりと負け、ややさぼり気味でした。。。しかしそんななか、岡本御影さんより、拙著「文系ポスドクの生活」をシェアしていただきました。深く感謝申し上げます。。

感謝申し上げると同時に、自分が書こうと思っていたことがすでに、かなり丁寧に書かれてしまったという残念な気持ちがあります(笑)。怠惰な自分が情けない気持ちになりました。

とはいえ、「有益な、かつ、確かなサバイブ情報が、増えてくることを期待したい」と考える点は私も同じなので、岡本さんのように自分の経験や周囲の状況などから帰納される「文系ポスドクのサバイブ術」は非常にありがたいですし、こういう話題をすでに有名な学者・研究者の先生方や在野の研究者の方々にもしてほしいですね。「成功(者)バイアス」も集合知化されれば多少均されるのではないかとも思いますし。

本題に入る前に、実は私も岡本さんと同じ「The HEADLINE」の編集長・石田健さんの記事を読んでおり、「文系ポスドクの生活」というテーマに関心をもったきっかけの一つがこの記事です。もう一つは、ズバリ「人文系院生・ポスドクの(ちょっと変わった)サバイブ術」という哲学者の森功次(もり・のりひで)先生のブログ記事です。これらは、共に西村玲さんの自死についての朝日新聞の記事がきっかけとなって書かれています。したがって、本当のきっかけは西村さんについての記事になりますね。

岡本さんの記事に書かれた「文系ポスドクの就職」

さて、それでは、本題に入ります。まず、岡本さんが先の記事で挙げている「文系ポスドクの就職先」をざっとまとめましょう。

小中高の教員、学芸員、図書館司書などの資格を取得する
これは最も古くからあります。都内の私立高校などでは、国語や社会科の受験資格に「修士(博士前期課程)以上」を要求されることもあります。
地方公務員試験や公益系の外郭団体の採用試験を受ける
こちらも古くからあります。①と②は広義の「公務員」です。しかし、岡本さんもご指摘のように、これらの就職先も近年では血で血を洗うレッドオーシャン状態ですし、ポスドクは年齢制限でそもそも受験ができない可能性が高い!!したがって、あまり有効なリスクヘッジではありません。

③大学受験・資格試験・就職試験の予備校講師学習塾講師家庭教師
④大手予備校や出版社が手掛ける模試の採点、小論文や作文の添削指導者、各種教材の編集者(これはハードルが高いと岡本さんは指摘します)、解説執筆者、校正者
岡本さんは、③と④は2000年代前半頃から広がってきた就職先であり、「大学の教員に就くまでのつなぎ」として、当時の文系ポスドクから見なされていたのではないかと指摘します。ただし、これらの仕事も最近では競争率が高まりつつあるとも指摘されています。やや個人的な印象になりますが、たしかに地方でも有名な予備校講師は実は博士学位取得者や博士後期課程中退者がけっこう多かったように思います。

最も頼れる「武器」とは……?

では、結局のところ、文系ポスドクはどうやってサバイブすればいいのでしょうか? この点について岡本さんは下記の記事で、先の石田さんの記事を引きつつ、文系ポスドクにとって最も重要な「武器」を指摘されています。

まず、石田さんの指摘は、広義の社会科学系の統計やデータサイエンスなど広義の「量的研究」のスキルは民間就職でも重宝されるのではないかというものです。この指摘は、私の指導教授が哲学思想研究からデータサイエンスに移行したレアな経歴をもつ先生で、「優れたデータサイエンスの技術があれば、食い扶持には困らないかもね」という助言(?)を何度か受けたので、個人的にも誤りではないと思います。

しかし、石田さんの指摘はやや限定的で、その他の(中でも「~史」研究者)には救いになりません(なお、私も岡本さんと同様に「~史」「~理論」で学位を取ってしまいました……)。そこで、岡本さんは文系ポスドクの別の能力に目を向けます。その能力は簡潔に言うと、「パソコンができること」です。すなわち、

・Wordで仕様書や見積書の類をきれいに作成できる
 ・PowerPointでチラシや情報紙を作成したりデザインしたりできる
 ・Excelでガントチャートやビジュアル資料を作成できる

これらの能力があれば、面接等で他の受験者から頭一つ抜け出せると、岡本さんは実体験を通して指摘されます。

私も実はほぼ同意見です。ただし、私は岡本さんが「パソコンができる」の”前提”にしたと思われる別の能力こそ、文系ポスドクが頼れる最大最高の「武器」だと思います。それはすなわち、何らかの多くの情報を早く・正確に収集し、理解し、それを早く・正確に・わかりやすく伝える能力、つまり「情報リテラシー」こそが、文系ポスドクにとって最も頼れる「武器」だと思います。

「知識」の「価値」は、その「場(界)」ないし「文脈」に規定されます。つまり、どんなに日本文学の知識があろうとも、銀行の営業職などでは全く無価値です。しかし、資料を作って説明するという点では、日本文学研究者も銀行の営業職も同じです。能力とスキルの「価値」は、「場」や「文脈」を超えるのです

文系院生の研究生活はインプットとアウトプットの繰り返しです。その日々のなかで自分の何が磨かれているか、私はあまり意識していませんでした。しかし、とくに文献や資料を読みまくる「~史」みたいなタイプの文系院生は毎日10キロの坂道を自転車登校しているようなもので、生活のなかで自ずと「基礎体力=リテラシー」が養われるのだと思います。したがって、実は文系院生は意外と「つぶしが効く」のです。

おそらく、「実社会で使えない文系院生」は、インプットかアウトプットのどちらかに偏ってしまった人なのだと思います。以前も述べましたが、研究はコミュニケーションなので、インプットとアウトプットの両方をしなければなりません(個人的信念としては、「実社会で使えない人材」は大事だと思いますが)。多少の偏りはあれども、やはりどちらも行うのが重要なのだと思います。

そんなわけで、「文系ポスドク」がサバイブする際に最も頼れる「武器」は「情報リテラシー」であるというのが、今回の結論です。若干、以前も書いた「真面目に研究をしよう」というオチになってしまったような気がしますが、ご了承ください。では、明日も早いのでこの辺で。。

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