最近の記事

あさきゆめみし

今年の大河「光る君へ」を見ていてどうしても読み返したくなり再読。初めて読んだ時には作画の美しさに目を奪われていたのだが、読み返すごとに紫の上が病に倒れてからの思いや、浮舟が匂の宮と薫の間で思い詰める様子が強く感じられるようになった。光源氏は紫の上を最も愛している、大切な人だと自身信じていながら、彼女の資質をこの上ないすばらしいと思いながら、「女の身でありながらよくぞこれほど」と思う。つまりは女は男よりも能力が下、男に導かれるものとしか思っていないのだ。匂の宮にしても薫にしても

    • ドラマ『大奥』を観て

      ドラマ「大奥」が最終回を迎えた。原作からのファンなので、NHK地上波での映像化で、この稀有な物語を知る人が増えてくれたのなら、とても嬉しい。 一般的には大奥と言えば、将軍のために若く美しい女性たちが集められた後宮というイメージだろう。ドラマとしても、今まで何度も映像化され、多くの俳優さんたちが演じてこられたそちらの大奥の方がより多くの人に知られていると思う。しかし私自身は過去に見てきたそれらのドラマには、俳優さんたちの素晴らしい演技に感嘆しつつ、モヤモヤした思いを感じてきた。

      • 映画 燃えあがる女性記者たち

        カースト制度の更に下部に位置付けられるダリト。そして性別としても差別される側である女性。女性の地位が高いと言えないインドで、ダリトの女性たちが立ち上げた新聞社『カバル・ラハリヤ』。記者たちの率直な質問と堂々とした態度は私の目にとても眩しく見えた。しかし私たちの国でもそうであるように、顔を出して発信している彼女たちも多くの誹謗中傷に晒されているだろうことは容易に想像できる。だからこそ祈るような気持ちで願う。どうか1人でも多くの人たちが彼女たちの後ろに続いてくれるように。そしてそ

        • 映画 福田村事件

          ようやく福田村事件を観てきた。観に行こうとしていた日に満席で観ることができず、今回はネット予約で席を確保して行って来たのだが、休日のせいかほぼ満席だった。 映画は淡々と始まった。澤田夫妻、福田村の人々、行商人の一行、それぞれの日常が描かれていく。後に起きる事件がわかっているだけに、それぞれの人たちが私たちと同じく日々の出来事に一喜一憂する『普通の』人たちであることが辛い。その『普通の』人たちがどのように加害者となり、被害者となっていくのか。被差別部落出身の行商人も、自分たち

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          マイスモールランド

          マイスモールランドをWOWOWでようやく観ることができた。以前に東京クルドを見た時にも、牛久を見た時にも感じたことだが、国籍国で迫害を受けて日本に逃げて来た、そのことがなぜ入管に収容されなければならない理由になるのか。 サーリャは高校生で、小学校の先生になりたいと思っている。日本語が堪能ではない父親や親族の通訳などに追われながら、アルバイトをしている。そのささやかな願いが叶うことが、なぜこんなにも難しいのか。なぜ仮放免者は働くことを禁じられ、保険証も与えられないのか。 この国

          マイスモールランド

          映画 教育と愛国

          自国を誇れない子どもを作るような反日教育…と新しい歴史教科書を作る会の方々は言う。「従軍慰安婦などいない」「日本軍は酷いことはしていない」それは「侵略戦争ではない」「アジアを解放するための戦争」という戦中の大日本帝国の主張とどこが違うのか。「絶対に間違えない」などということはあり得ない。だからこそ、できるだけ間違いが起きにくいような制度、1人が決める君主制ではなく、時間がかかっても多数の意見を聞く民主主義が選ばれてきた。それでも間違いが起きた時、それを無かったことにするのでは

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          映画 標的

          ヘイトは表現の自由などというものでは絶対にない。時には人の生命さえ奪いかねない言葉を相手に投げつける側の、動機とすら言えない気持ちの『軽さ』。そこには『犬笛』によって『標的』にされた側に与える影響の深刻さに対する想像力のかけらもない。ただ気に食わないとか、自分と意見が違うとか、理由にならないことで簡単に誰かを『標的』にすることも、誰かの尻馬に乗って何も考えずに誹謗中傷をどんどんエスカレートさせることも、その矛先がいつ自分に向くかもしれないことを想像しないことも、すべてとても恐

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          映画 牛久

          恐ろしい映像だった。今、私は拷問の場面を見せられているのか。この人たちは「人」に対してなぜこんなことができるのか。 私たちの国は、制度で人を殺している。 「こんなことなら祖国で死んだ方が良かった(大意)」祖国からやっとの思いで逃れてきた人にこんなことを言わせるような国が、果たして民主主義国と言えるのだろうか。日本も批准している難民条約に明らかに反しているのではないか。 こんなことをさせている現政府が「自由民主党」という名前の政党なのは、もはやブラックジョークに感じる。私たちは

          映画 牛久

          『由宇子の天秤』を観てきた

          『由宇子の天秤』を観てきた

          嵐電

          ようやく嵐電を観ることができた。 日頃、映画やテレビ、小説を読むときには、起こった事柄に対する説明や理由を探してしまいがちになる。ミステリーが好きなことも関係しているかもしれない。 いくつものなぜ?が解決されないまま、映画は終わる。昔、私たちの先達は説明がつかない者たちと共存していたんだよ、すべてが説明のつくものばかりになってしまったら、つまらないでしょう?と水木しげる先生に言われたような、そんな気がした。 #嵐電 #井浦新

          映画「赤い雪」

          JR在来線で1時間ほどで行ける場所だったことと、その日のその時間が空いていたことで、トークショー付きで観ることができた。 監督の「小さな事件を描きたかった」という言葉が頭に残っている。 昔の事件を取材に来た記者と、その事件の被害者の兄を中心に話が進んでいくのだが、終盤に記者は「消えて」しまう。いきなり居なくなってしまうのだ。ある人物の言葉で、記者がその人物に「始末された」ことがわかるのだが、その詳細は画面には現れない。実際に自分が生きている現実社会では、自分が知らないうち

          映画「赤い雪」

          グレタ・トゥーンベリさんの発言と、それに対する日本の一部の人の残念な反応

          現在の環境問題について考える時、より責任を負っているのはどう考えても子どもたちよりも大人たちだ。 そして日本を含め、早い時期に工業化が進んだ国は、環境の破壊に貢献してきたという意味で、工業化が遅れた国よりも多くの責任を負っている。 さらに日本は、温暖化ガスの削減における消極的な姿勢、なんら具体策を持たないという事実において将来に対しての責任すら取ろうとしていない。 その日本の、トゥーンベリさんよりもおそらく年齢が上であろう人たちが、彼女を揶揄することの無責任さ、愚かしさ。彼女

          グレタ・トゥーンベリさんの発言と、それに対する日本の一部の人の残念な反応

          アイスショー 氷艶 月光りの如く テレビ観賞

          ‪アイスショー氷艶 月光りの如くのテレビ放映を観た。話自体はトンデモ源氏なんだな、という感想。源氏物語自体は、源氏を結構ワガママだったり、身勝手な人物として描いてるから、光源氏を本人には瑕疵がなく、悲劇の主人公とするために、ストーリーを変えたのかな、と。‬ ‪さすがに髙橋大輔のスケートはすてきだった。私は今回朱雀君を演じたステファン・ランビエールのファンだが、ランビエールのスケートはどの瞬間を切り取っても美しい。それは、常に身体の軸が崩れないからだろうと思う。髙橋大輔のスケー

          アイスショー 氷艶 月光りの如く テレビ観賞

          イノセンス 冤罪弁護士

          最終回が終わった。意欲的な作品だったと思う。 ただ、とても残念だったのは、11年前の事件の犯人の動機である冤罪が、痴漢冤罪であったことだ。多分、男性にとって「痴漢冤罪」は身近な、自分に降りかかりそうなこととしてイメージしやすいのだろう。もしかしたら、被害者として女性を狙った理由の一つに、自分を陥れた女性への恨み、といった面もあったのかもしれない。 ただ、現実問題として、痴漢は実際に起こっている中の一体どれくらいが「通報」されているだろうか。もちろん、どんなに少なくても冤罪

          イノセンス 冤罪弁護士