観念論からみた自身の恋愛観

◯用語の定義 


『恋』:『性的欲求を背景として(多くの場合には性的欲求を背景としていることは自覚されず)、特定の誰かの価値を高く感じ、肉体や精神的な接触を持ちたいと願う心理』(『恋愛と性格を考えるハニホー』より引用)と定義する。感情的なもの。
『愛』:対象を自己と同一視することと定義する。本報告においては差支え無いが、自己愛の説明の不十分性などから不完全であり今後に課題を残す。理性的なもの。(報告者による)
『抱擁力』:価値観を理解されることによって包まれる感覚、精神的実体を肯定されることを『抱擁』とし、それを実行し得る能力のことを指す。(報告者による)
向上の為には、『モラリスト(モンテーニュ)』『交わり(ヤスパース)』弁証法における『止揚(ショーペンハウアー)』が有効?
『自由恋愛』:欲求に対して理性を優位とし、依存を可能な限り排除した自立した男女の交際関係。(報告者による)

◯はじめに


自己の内面的事情を自身以上に理解、把握できる他者は存在し得ないとし、以下、自分の主観を絶対とする。
パートナーに関して、性別や大学生の恋愛における必要性は考慮しないものとする。

◯背景(問題意識)


恋人との別れを機に、今後、自身が恋人に求めるもの、パートナーとしての理想像について考えてきた。この問いの本質は恋人に求めるものというより、自身が恋愛に何を求めるかという恋愛についての価値観への批判である。そこで恋愛観について問い直すことにした。
現時点での恋愛観から未来の恋愛について考える上で、恋愛観を形成してきた過去の恋愛についての分析は避けられない。
これまでの恋愛においては、嫉妬などの心理効果を利用した人心掌握や依存されることで満たされる自己肯定感を幸福とみなし、依存度の増加に伴って幸福度も向上させられるとの認識があったと分析される。
このように分析された以前の恋愛観は、依存されたいという欲求を基にした『恋』に置き換えられるものである。これを無意識のうちに行っていたという点で、人間特有の性質である『理性』のフィルターが機能しておらず、『恋』という欲求をコントロールできていないといえる。つまり、カントの観念論を用いれば『理性という善意志(道徳心)が欲求に支配され行動を制限された不自由な状態』であり、自由恋愛をできておらず、欲求に恋愛を強いられている状態である。


◯本報告の目的(意義)

報告者は先に述べた自由恋愛ができていない状況を善しとしない。
これは、心理学におけるコンフリクト(葛藤)から内在的で自分が認識できていない理想と現実の乖離に起因していると考えられる。
コンフリクトの解消を善しとすれば、それを満たすには二つの方法が考えられる。
一つ目は現実に従って理想を変化させること。これは自分の認識を対象に対応し、結果的な幸福度を重視した経験論や功利主義に置き換えられる。
二つ目は理想に従って現実を変化させること。これは前者に対して、結果よりも動機を重視した動機説や善意志に置き換えられる。
前者は理性によって形成された理想の放棄、理性の裏切りであり、現実や自然に従えられた受動的な営みと考えられる。対して後者は人間に与えられた理性に従うという能動的な営みであり自立していると考え、報告者もこれに同調する。
よって本報告は、現時点での恋愛観(自身の理想とする恋愛)について明らかにし、それを実現させるための今後の恋愛における価値基準の一つとされることを期待する。


◯新たな仮説(可能性)

人生の最大の目的、幸福は自分が理想する人間像を体現することにあると考える。また恋愛とは人間の社会的行動の一種である。つまり、恋愛はこれらの目的の達成や幸福の最大化のための手段であると考えられる。そのため、恋愛観について考察する前に理想とする人間像、人生哲学について述べる必要がある。理想について思索したとき、『感情を尊重できる理性主義者』『一つでも多くの物事に対して考え、少しでも深く考えられる人間』『抱擁力のある豊かな人間』が挙げられる。(抽象的な善しとする人間像の中を具現化した際に瞬間的に対応する一例であり、これに全てではない)ここから導かれる理想のパートナー像について考察する。

①尊敬できる人
一般的に理想のパートナー像の一つに、尊敬できる相手が多く挙げられる。この条件を用いれば、上記の理想の人間像に適った人こそが尊敬できる人であり、自身の師(メンター)としての付き合い方が自己実現につながるのではないか。
②価値観(理想像)を共有、それに共感できる人
理想を同じくする者が集団を形成することで相乗効果などが期待され目的達成への可能性が高まる
例)学校、政党、宗教
また、共感というのは他を自己とみなすことにであると考える。つまり、最終形態として対象を自己と同一視する『愛』、異性に向けられる『性愛』に繋がるのではないか。


◯検証(展望、理想を踏まえた今後)


検証方法は、実践を通して経験する以外に無いのではないか。これは、先に述べた理想像に適った人物を見つける。交際関係に発展させる。という、二段階のプロセスに分けられる。
後者は本人の努力を如何に拠るものであり、不確定性を含むため本報告では言及し難い。
そのため、前者への補足に留める。カントの認識が対象に従うという『コペルニクス的転回』の例として『妊婦になると街中に妊婦が増える』がある。自身が妊婦になることで初めて妊婦という存在を認知し、街中で妊婦の存在に対して敏感になるというものである。
理想を同じくする人がパートナー像という考えに、これを応用するならば、自身の理想に生きることがパートナー像への認識能力を高め、出会いへの手立てになると考えられる。


◯今後の課題

①検証方法については実践に至る上で不確実性があり再検討の方があるのではないか。
例)文学作品に触れるなど?

②本報告は人間の精神的な観点から考察した観念論(理想論)に過ぎない。実用性を考慮し、表象や外見的なもの(性差やルックスなど)との関係性や必要性についても考察する必要がある。

◯おわりに

カントの観念論に同調して、自身の恋愛観について整理したが、思考の言語化や整合性の検討に限界を感じる。数字など客観的な要素で判断できないことからあくまでも客観視したつもりの主観に過ぎないのではないか。これらを乗り越える為には第三者による批判が必要不可欠だと考える。

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