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【ワースト3】僕が今まで「辛い」と感じた宿泊体験

旅人と飲み会をした時に「今まで訪れた場所で値段と見合わなかった宿はどこか」という話になった。
そのタイミングでは「ラゴスやロメですかね」と答えたが、よくよく思い返すと今まで宿泊した宿は地味に適正価格だったのではないかと思っている。

世界106ヶ国、街だと300ぐらいはあるんじゃないだろうか。正確に数えてないから自分の想像だけど。
そのすべてに宿泊しているわけではないんだけど、自分の中では宿は最良の選択をしてきたと思っている。
恵まれた方かもしれない。いや、単に鈍感なだけかもしれない。
なので不満足に感じるケースは少なかったけども、とはいえ幾つかしんどいと思えることを耐えていた経験はあるのだ。

深夜の勢いで執筆しているが、僕が今まで辛かった宿の体験・ワースト3を記したいと思う。


① ワディハルファ(スーダン)

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2013年5月

僕が学生時代に世界一周をしていた時の体験だ。
カイロからケープタウンまで下っており、エジプトのアスワンからスーダン側までフェリーで移動していた。
そのフェリーが木のベンチで寝ずらい上に人も多くて暑くて結構辛かった。
まあそれは選択した自分の責任なので耐えるしかなかったんだけど、ワディ・ハルファというスーダン側の街に到着して宿を探したところ全て「フル!」と言われてしまった。
綺麗じゃなくてもいいからベッドで寝たく、シャワーも浴びたかったが、その可能性は無くなった。

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フェリーの中。               食堂まで人が溢れてとりあえず寝ている。

翌朝のバスに乗るため、バスターミナル周辺をさ迷っているところ、バスターミナルで寝れるという話を聞いた。
この時一緒に旅をしていた方が情報を共有してくれたので、色々とお世話になったことを今でも思い出す。

バスターミナルで寝る、というのはどういうことかと思ったので聞いてみると、何もない地面を指さされたのだ。
「え、地べたで寝るの?」と思ったらどこからか簡易ベッドを持ってきてくれて置いてくれた。

ベッドというかただのバネみたいなもんなんだけど、そこに寝袋を敷いて寝るというシステム。
とりあえず壁ぽい近くのところにして日が暮れるのを待った。

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これが寝床

身体も限界なのでいつの間にか寝ていて目を覚ますと、時計の針は23時を指していた。

周囲を見渡すとビックリ。周辺に同じようなスーダン人が50人近く寝ていたのだ。
まるで「野戦病院」。屋内が暑いから寝ているのか、僕みたいな宿なし旅人なのかはわからないけど、今後決して見ることのない、いや見たくない景色であったことを今でも思い出す。

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「ベッド」から見える景色。         ここ一帯に夜スーダン人が寝ていた。

そこまで疲れが取れない中、翌朝首都のハルツームまでバスで向かった。
このバスが中国製でエアコンがガンガンに効いていて感動したのは言うまでもない。


② モヤレ(エチオピア)

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2013年5月

僕の中でキング・オブ・ワーストと思える体験だったと思う。
「精神的」「肉体的」に身体を蝕んでいったのが、このエチオピアだった。

エチオピアに入ってから、食あたりに遭い、ぼったくりに遭い、スマホを失くし、地元人に付きまとわれて結構ボロボロだった。
エチオピアという国が嫌いになりとある人の言葉を借りると「二度と来るかボケ!」という気持ちだ。
今思い返すと全ての事が避けられたし、自分の責任が殆どなのだが、当時は旅に慣れつつある大学生で気持ちがイキッていたのだと思う。恥ずかしい限りだ。

そんなエチオピアから、ケニアへの国境の街。
1秒でも早くエチオピアを出国したい、僕はその想いを持ち、国境の街へと「いすゞ」で向かった。
「いすゞ」というのはエチオピアの移動手段で、トラックの荷台に乗って街と街を動く。
トラックがいすゞのトラックだから「いすゞ」と現地で呼ばれていた。今はどうなんだろう。

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いすゞの荷台から。アフリカの大地を感じていた。エチオピアから出るのを待ち遠しにしていた

朝からジンカから移動して、夕方ようやく国境のモヤレという街に到着した。
僕は気分が高揚していた。この忌まわしいインジュラ国家から抜け出せるのだ。
早くケニアに入りたい、その想いだった。

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エチオピアのボーダーに到着し、エチオピアを出国。
そしてケニアに入ろうとしたところ係員に「No」と言われてしまった。
「え?なんで?」と聞いたら、「もう国境は終わったわ。明日また来て」という返し。

この時の感情は言うまでもない。頭が真っ白になり、天から地へと落とされたような気分だ。
何故エチオピアボーダーは空いてるんだ・・・。しかし入国出来ないとなると仕方がない。
楽しみが明日に伸びたと思い宿を探すも、気持ちは晴れることはなく、なんでエチオピアに金を落とさないといけないんだと感じた。

何とか空いてる宿を見つけて、明日の朝に備えることにした。
シャワーもないし、バケツ水で浴びてくれというスタイル。
とりあえず寝る前にパソコンでソリティアでもしよう、と思い開いたパソコンがこれ。

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旅に出て初めて泣きたくなった。
食あたりに遭い、ぼったくりに遭い、スマホを失くし、地元人に付きまとわれて、最後はパソコンの画面が割れる?
この時点で僕は情報収集をするツールを失くしていた。
いや、全部避けれたし、今思うと僕の責任だし、笑い話になるんだけど当日はめちゃくちゃ辛かった。

アディスアベバから旅友と動いていたんだけど、とても惨めな顔をしていたと思う。
絶望の淵で横になった21歳の5月。翌朝、一番で国境を越え「二度と来るかボケ!」とナチュラルに言った。

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「二度と来るかボケ!」と言った直後

今でも思い出すモヤレの街。
その後ケニアのモヤレからナイロビまで乗った24時間バス(うち20時間は未舗装)も懐かしく覚えている。


③ ケープコースト(ガーナ)

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2016年3月

3つ目もアフリカがランクイン。アフリカが悪いわけではないことをご承知おきしてほしい。
いや、悪い部分はあるんだけど、わざわざ出向く僕に責任もあるので。

僕の大学の卒業旅行のラストは西アフリカだった。
ナイジェリアのラゴスからコートジボワールのアビジャンまで陸路、そしてセネガルのダカールを空路で巡る旅。最後は泥臭く締めようと思っていた。

昔の経験があったので、地味に宿は快適性を重視していた。
なので全体的には納得がいけるレベルなところもあったけど、ケープコーストの宿は地味につらかった。

湾岸部の西アフリカは暑い。蒸し暑いのだ。日本の梅雨時期の嫌なジメジメを思い出してくれると分かりやすい。
ケープコーストで8ドルぐらいのドミトリーがあったので、とりあえずそこを選択したのだ。まあまあ評価も悪くなかったし。

実際に宿自体の設備は良かったし、悪い宿ではなかった。
なんだけど、とにかく寝苦しかったのだ。先ずドミトリーはエアコンなんてないので、夜は蒸し暑くなる。

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ドミトリー内


僕は暑いのが嫌いなので、そこであまり寝付けなかった。
なので外のハンモックで寝ようとしたけど、このハンモックはダニだらけで少しいるだけで痒くなる。
ビーチに面していたので、砂浜はどうかと思ったけど、満潮すると波が襲って死ぬ危険性があるので、回避。
僕に残された選択肢は「寝ない」ということぐらいであった。

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昼は快適、夜はダニまみれのハンモック

しかし翌朝にはコートジボワールへ向けての陸路国境越えが待っている。
そこで考え抜いた選択肢が「寝袋でハンモックで寝る」ということ。
これならダニも避けられて、まだ涼しい外で寝れるというのだ。

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宿の前。ビーチに面している

結果的には寝袋は寝袋で暑くて全然寝れなかった。
その辺のベンチに座って、電車で寝るような格好で結局寝ていたのだ。
僕の体質的だけど、やはりエアコンがない宿は避けようと思ったし、アビジャンでは多少高くてもエアコン付きの宿を選択したのは言うまでもない。


思い返すと辛かった経験は全てアフリカに集中していた。
いや、ドミトリーのイビキがうるさかったり、同室の奴がうるさいとかはあるけど、それを言い出したらキリがないし、ドミトリーに泊まる宿命でもあったりする。
「肉体的」「精神的」というダブルを兼ね備えていたのが、これらの宿だったな。
「精神的」だとこれらより辛いものがあるけど、書くと長くなるので割愛させていただく。


今でもハッキリと記憶に残るし、二度と体験したくない。
だけどちょっと心の中ではこういう「怖いもの見たさ」があるのが、旅の麻薬効果なのかもしれない。

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