「ライクパッカー」という新たな旅行形態。

この数日間、僕のTwitterのタイムラインは「バックパッカー」という話題で持ち切りだった。
火が付いたのは中学生がアメリカをヒッチハイクで横断するという行動から。そこから数珠つながりで何故かバックパッカー論争になっていった。

最初は外から「ほーん」と眺めるだけだったんだけど、どうも「バックパッカー」という言葉を目にするとうずうずしてしまう。
というのも、僕は学生の時からバックパッカースタイルで旅をし、そして大学の卒業論文ではバックパッカーについて研究をしていたからだ。なので人一倍思い入れがある。

だからこそ、今のバックパッカー論について一つ自分の意見を述べていきたい。
Twitterだとかなり長くなるので、初めてnoteに投稿してみた。自身の論文から引用している。お付き合いいただければ幸いです。

▼バックパッカーとは

2016年1月。僕は「宿の経営形態から見る日本人バックパッカー観光客の行動パターンの差違 ―タイ・バンコクを事例に―」というテーマで卒論を提出した。簡単な概要を記すと、バンコクを舞台にバックパッカーの行動パターンの違いを調べ、そこには個人のライフヒストリーがどう関わってくるのか、というものだ。

そこでバックパッカーの先行研究を読み漁っていたのだが、バックパッカーの明確な定義はないのだ。
Opperman and Chon(1999)、宮崎(2003)によると「一般的に『貧乏旅行者』に言い換えられる存在であり、『旅行期間が比較的長く』、『1 日あたりの支出が比較的低く』、『旅行中の各手配の全てを自身で行う』旅行者」と定義づけられている。
他には新井(2000、p.112)の「バックパッキングとは概念的に定義づければ『資本が提示する旅行形態にとらわれず、自分の意志にしたがって旅の目的地を周遊する旅』」という定義もある。
僕がしっくり来たのは、新井氏の論。「自分の意志」という部分だ。ここが行動として大きな部分があるのではないかと感じた。
また「フラッシュパッカー」という旅行形態もある。こちらも明確な定義はないが、Manuel Marabese(2012)によると「高い予算、電子機器を駆使、快適な旅」を求めている旅行者のことを示している。

まあ人それぞれバックパッカー論はある。どれもが正解だと思う。
あくまでも僕は「自分の意志で動く」という人のことを指すことをご理解いただきたい。

▼自身のステータス

論文ではバンコクに2週間近く滞在し、2つの宿で旅行者にヒアリングを進めていった。
コミュ障の僕がよくできたものだと感じる。
ここでは細かな内容に触れないが、ヒアリングをした人に共通したのは「海外への漠然とした憧れ」というものだった。
それはいいんだけど、ヒアリングを通じて「ん?」となったのが「ネタ作り」という内容。
2人で話すと普通な会話だけど、日本人数人で集まると武勇伝やいかに自分が凄いか、という話題になる。

日本人宿には色々なタイプの人が訪れる。
全員が全員積極的に声をかけたりする人ではない。中には「受け身」の姿勢の人もいる。
自分からは発しないけど、人から声をかけられるのを待つような人。自分からは積極的には動かないけど、誰かとならどんどん動けるようなタイプ、バックパッカーとは言い難いタイプだ。
だからこそノープランで訪れ、宿で知り合った人と動き、それが自分が認められたかのようなステータスとなる。そこで「自分」の存在を際立たせ、日本にいる人にアピールするのだ。
そこから「旅をしている自分」というカッコよさが出てきて、ちやほやされるのを待つようになる。SNS に投稿することでアピールし、投稿への「いいね」が一つのステータスとなってくるのだ。
アウトプットすることは決して悪いことではない。自分から発信することもよいことだ、しかし「旅をする自分を魅せたい」ことが目的となり、中身もないような行動をし、人様に迷惑をかけてしまうと批判が出てくる。

このような旅人が段々と増えてきている。
特に東南アジアは日本からも地理的に近く、航空券も安く、そして物価も安い。情報も溢れており、観光客が通るルートも整備されているので、お手軽に「旅」をするにはもってこいの場所だ。
そこに「自分を認めてもらいたい」人が訪れ、各日本人宿を転々とし、人と交流し、自分の存在意義を高めていく。まるでロールプレイングゲームのような感覚である。このヒアリング調査から、バックパッカーやフラッシュパッカーとは違い、新たな旅行形態が今の日本社会では表れてきているのではないかと考える、これを僕は「ライクパッカー」と呼んだ。

▼ライクパッカー(Likepacker)

この「ライクパッカー」は英語の「LIKE」から 2 つの意味で考えた。
1 つ目が「いいね!」の LIKE。2 つ目が「類似、同様」という意味の LIKE だ。

「ライクパッカー」は量産型の旅行者であり、主に大学生が多く占めている。バックパッキングもフラッシュパッキングも予算や持ち物に違いはあるが「資本が提示する旅行形態にとらわれず、自分の意志にしたがって旅の目的地を周遊する旅」という部分は共通している。また両旅行形態も「日常を脱し、非日常を求める」要素が強い。

しかし僕が考える「ライクパッカー」は「日常の中において、非日常を求める」要素が強く、無意識のうちに自分の意思決定が方向付けられていると考える。新井(2000)や大野(2012)の研究ではバックパッカーは他者からの目を気にせず、自分へ投資し「自分らしさ」へ追求していた。大野(2012)は「日本人バックパッカーが追求する、他者評価などに頓着せずに自分らしさを重視するという生き方」と述べている。しかしこれは現時点では該当しない人が多い。それは「自分らしさ」を追求すると同時に、他者からの評価も追求するからだ。2000 年代前半は「自分らしさ」は他人に認められる必要はない、しかし今は他人から認められることが大事になっている。

この変化は SNS やインターネットへの普及が原因であると考える。2000年当時は SNS やインターネットはまだまだ普及していなかった。自分の周囲のコミュニティだけが判断基準であったのだしかし、今は全世界が判断基準である。色んな人が見ているからこそ「自分らしさ」を見つけ出す。それが他者から評価されることが自分へのアイデンティティとなってくる。コミュニティに溶け込みたい、だけど人と違うことをして評価されたい。つまりは「自分らしさ」を求め、コミュニティの中で個性的だと思われ、自分の居場所を確保するためである。だから 2000年と 2019年の「自分らしさ」は視点が違う。多様化な社会になったことで「自分らしさ」が同じようになってきているのだ。

彼らは同じような行動を取り、そして旅の目的が「ネタ」の部分が大きい。
「ネタ」という部分が「自分らしさ」につながってくる。海外に行き、ネタを作る。
自分という存在価値を高めるために、SNS を最大限に活用し、自分が海外にいて「こんなスゴいことをしている。どうだ」と SNS 上でアピールをする。実情は日本人と絡み、日本人のコミュニティの中で過ごしているだけなのだが、「海外にいる」という状況に酔っている。日本人コミュニティにいるため安心感もあるのだが、ちょっぴり冒険心もあり、日中の少しの時間は外に出て、ローカルな雰囲気を体験する。

また日本人の「海外コンプレックス」を最大限に発揮するのが、Bar やクラブに行った時だ。日本では一人で行けない、若しくは行く人がいないので行けなかったが、海外だからしがらみがなく、「誰か」と訪れる。そしてそこで出会った欧米人とお酒の力を借りて、交流するのだ。現状は英語も話せず「ノリ」や「勢い」となるのだが、一緒に写真撮影を行い、その様子を SNS でアピールする。「欧米人と一緒にいる俺(or わたし)カッコイイ」。欧米人からすれば「ただ一人の旅行者」という認識しかないのだが、欧米コンプレックスを持つ大学生は最大限にアピールをする。彼らは自分に酔っているのと同時に、自分の存在意義や居場所を再確認しているのだ。

SNS に投稿し「いいね」や「コメント」を貰う、それが彼らのステータスの 1 つとなり「自分らしさ」となるのだ。旅が目的ではない、自分の存在意義や居場所を確認するために旅が手段となっているのだ。「ネタ」や「話題作り」である。これは彼らの日本での生活にも同様な部分が隠されていると考える。巷で言われている「量産型大学生」、まさにその言葉を当てはめるのが適切であり「量産型旅行者」である。日本での彼らの生活も、旅先同様、SNS や人との繋がりが重要視されている。一人では動けない、一人では授業に出ない、一人ではご飯を食べない。人に合わせた生活を送り、「ノリ」を重要視した行動がそこで求められてくるのだ。そして人といることがいかに凄いか、というのを SNS を使ってアピールし、「いいね」や「コメント」を貰うことが一つのステータスへとなっていく。旅先での行動と全く同じであり、これが大学生を中心に広まっていっているのだ。お手軽に海外旅行に行けるようになり、ソーシャルで世界と簡単に繋がれる今、新たな旅行形態が出現し始めている。彼らは日本と同じ生活の中でも、海外というフィールドを理由に「非日常」を部分的に求めていく。そして旅を利用することで、コミュニティ内での自分の存在意義「自分らしさ」を高めていき、生きる活路を見出していくのだ。

▼承認欲求とヒエラルキー

人間は誰しも承認されたい。
僕も褒められたら嬉しいし、行動が認められたら頑張ろうと思うし、SNSで「いいね」が貰えれば喜ぶ。
だけどそれは「行動」⇒結果として「いいね」となる。初めから「いいね」を目的はしていない。
しかし「ライクパッカー」は「いいね」ありきなのだ。「いいね」がほしい、それに向かって行動する。「いいね」を貰って満足。もらえないと更に過激に走る。。。

まさに「承認欲求」。そこには彼らの半生が大きく関わっているのだろうと思う。
この「承認欲求」が今話題になっている事の裏の部分ではないかと。旅に限らず、インスタでも同様だろう。

「別にいいではないか」と意見もある。「楽しくやってるのならそれで良いのでは」と。
僕からしても関係ない話なので勝手にしてもらっていい。楽しければいいんじゃない、というのはごもっともだ。
なんだけど、放っておけない、気になるのは彼らに対して心配な気持ちになることに加えて、下手のことをしてほしくないのだ。
無謀なことに挑戦した結果命を落としたら、違反なことを行い日本人としての信頼を失ったら。今ではなく未来のこと、周りの人も一回俯瞰して見てほしい。

そういう人たちが好きな言葉に以下のものがある。インドのことわざと言われているようだ。

「あなたは他人に迷惑をかけて生きているのだから、他人のことも許してあげなさい」

だからと言って迷惑かけるなよ。
迷惑かけないように最善の策を練った。だけど迷惑がかかったのならしょうがない、そこは許す。
けど初めから迷惑ありきで行動するなよと。その迷惑で後々被る人のこと考えてますか?

あるフォロワーの方がネパール国境で「イミグレ抜けようとしたな!不法入国になるぞ!これだから日本人は・・・」と怒鳴られたそうだ。以前、とある日本人が不法入国をし強制帰国になったことがあった。

自分中心で生きるのは勝手だが、世界は人と人との繋がりでできている。信頼を得るには時間がかかるが、失うのはあっという間だ。そこを弁えてほしい。
文化や慣習、言葉。全く違う。だからこそ下調べをしてほしい。一人ひとりが日本代表だという思いが大切だ。

彼らは何故「承認欲求」を欲しがるのだろうか。自分なりの考察を述べたい。

僕は「ピラミッド」が要因の一つにあるのではないかと考える。

このピラミッドは「スクールカースト」や「学歴」というものだ。
正直学歴はあまりどうこう言いたくはないけど、ポイントとなるから今回は言わせてもらう。

「学歴」という観点では、今までバックパッカーは学歴ピラミッドの上部にいる人だけが関わるものだったと感じる。
だから一部界隈だけの話であったし、マイナーな存在でもあった。
SNS発達前に僕は旅をしていたけど、出会う人の多くは名の知れた大学(MARCH以上)だった。
勿論学歴に捕らわれない旅行者もいるけど、大多数は学歴の高い人たちだったと思う。あくまでも彼らは「自己責任」と割り切ることで、下調べを行い、情報は共有し、秩序がある中で旅をしていた(全員とは言わない)。ただそれがSNSの発達により、中間層にも広まるようになった。ここが先述の「ライクパッカー」の出現になるだろう。

「スクールカースト」という点では、僕はカーストの中間層に属していたと思われる人たちが、この「ライクパッカー」になっているのではないかと考える。思春期の頃、ちやほやされる姿やクラスのまとめ役・人気者に憧れがあったのではないだろうか。しかし高校の頃にカーストを逆転することは難しい。
その時の気持ちが、大学生となり、コミュニティに入り、旅をすることで爆発したのではないか。

中間層による上位へのマウント取りである。旅は自己表現を一発で表せる手段。
似たような境遇の人が集まる、そこで勢い余って頭で考えるより先に行動してしまったのでは。
これは日本人だけに限る問題ではないと思うけど。

そんな彼らには「キラキラ系」という言葉が使われる。
僕からすれば自分の旅をしている方がキラキラしていると思うけど(良い意味で)。
僕から言わせると「キラキラ系」と称される人たちは「ドロドロ系」にしか見えない。
自分のマウント取りが大事になっている。
「個性勝負」と言ってるけど、テンプレ化だから個性がない。二番煎じだ。
自分で動いているように見えるけど、周りに躍らされてマニュアル化している
自由を求めたはずが不自由になっている、自由に縛られてしまっている皮肉。中身がないからだ。

彼らは「笑顔」や「幸せ」など胡散臭いワードを使いたがる。
人との写真をUPしたり、楽しそうな雰囲気の様子。それは人にアピールする目的もあるだろうが、そこには上述で述べたように自分の存在を示すアイデンティティじゃないんだろうか。
自分を正当化するため。経験も中身もないから、やることなすことテンプレ化してしまう。

それって楽しいのですか?無理しているんじゃないんですか?
僕はもっと自分に正直でいいと思う。等身大の自分で居ようよと、背伸びしても辛いだけ。長続きしないって。
その場で認められることが全てではない。世界はもっと広いし、自分が合う環境は絶対にあるんだよと。

色々悩んだり、自問自答したり、寂しいと思ったんじゃないかなと思う。

自分に自信がない人が多いと思う。それは経験がないから。
でも経験がないのだから、自信がないのはしょうがない。皆そうだし。キラキラみえる人は裏でかなりの努力や経験をしているのだ。見せないだけで。
だからこそ、自分の頭で考えて、動いて、失敗して、そして成功して。そのサイクルを得ることで「自身」が強固たるものになってくる。

SNS疲れしないで。一旦距離を置くことも大切。別に死なないから。
日本でも良いし、海外でも良い。SNSをお休みして純粋に旅してみてほしい。
素敵な景色を見に行くでもいい、都市で暮らすように過ごすのでもいい。周りの情景を眺め、頭の中で考えてみてほしい。自分自身と見つめ合ういい機会だ。
時間がなければ、お休みの日に行ったことがない街を歩くのも十分な「旅」だ。それは自分の意思に従って動いているから。

彼らはまだ変わっていけると思う。
あの頃バカだったなと10年後思えるようになればいいな。

(6440字)

▼参考文献
・新井 克弥(2000):『カオサン探検―バックパッカーズ・タウン』双葉社
・新井 克弥(2001):「メディア消費化する海外旅行 ~バックパッキングという非日常 ―バンコク・カオサン地区の定点観測―」『非日常を生み出す文化装置』嶋根 克己、藤村 正之編著、北樹出版、pp.111-137
・新井 克弥(2013):「バックパッカーの情報行動 ―スマートフォンと SNS の利用形態―」関東学院大学文学部紀要(129 号)、pp.17-42
・大野 哲也(2012):『旅を生きる人々―バックパッカーの人類学―』世界思想社
・Manuel Marabese(2012):A journey through flashpacking, Aalborg University
DENMARK, pp.1-40

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