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運転手は強しされど弱し

 近所を暴走して通るたまご屋がいる。
 「毎週○○の養鶏場のたまごを販売しています」とすり切れた音楽テープとしゃがれた声で暴走している。四つ角を曲がるときもスピードを落とそうとしない。
 じつは先代の柴犬も散歩中にこいつ(決め打ち)にひかれそうになったことがあった。にらみ合った記憶がある。
 今日も近所の角を奴はスピードも落とさずに進入してきてあやうく、よその犬連れをひきそうになっていた。そいつは逆ギレして何かわめき散らしてエンジンを吹かしてどっかへいってしまった。
 ひそかに、どっかの大型車に釜を掘られて商売道具のたまごがおしゃかになってしまえばいい、と呪詛の念を抱くこともある。市民の顔をした市民の敵なのである。
 こういうのは事故でも起こさない限りどこまでも逆ギレしてまわるが、もし(人間にゼッタイはないのだ)こいつが人身事故でも起こそうものなら過失割合は非常に重くなるのは明らかである。そばに人がいれば身柄を確保され凄まれてキレられて青菜に塩となる情けない奴だと思う。そのまま警察に身柄を引き渡され、犬が絡もうものなら今はすぐニュースになるからそのまま養鶏場廃業間際まで追い込まれるだろう。
 思うのだが、人間やっていてこういう情けない奴に成り下がってはいけないし、相手にしない方が良いに決まっている。相手にしてたまごを買ってやろうものなら同類と看做される。以前、うかつにもこいつからたまごを買ったときがあった。接してみないとどんな奴かわからない。はっきり言って後悔している。お得意の近所さんも詳しくは書かないが一家離散状態で、家のドアを閉めて入っていくときもバタンと雑も良いところなのである。子供は社会のものだからいうのだが、こうして育てられた子によって私の前半生(よって後半生、いま)がズタズタにされたことは記憶から消えない。
 たかがたまご、されどたまご。たかが凄む運転手、されどパクられると弱い運転手。どういう連中によって我が人生はめちゃくちゃになっていったか良く憶えている。
 八王子に住んでいた頃、自作機が珍しい頃自家用車で部品を秋葉原まで買いに行ったが、中央道に乗る手前の浅川の橋で車線が狭くなる箇所があり、入れてもらおうとしたら罵声を浴びせられてなめ腐られた怒りから、窓を閉め切った憶えもある。車を手放して正解だったようである。

2024/02/10 ここまで

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