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2024/03/21 書けば書くほど……

 おはようございます🙏
 彼岸の中日、明けましたね。

 私もお参りに行きました。移動がせわしないです。横浜線から根岸線を乗り継いでです。
 行きすがら、ふと姪に卒業祝いを出していないことに気づき、老いて固くなった頭に理詰めでむち打ちながら、スマホでオンラインギフトを贈りました。その間一時間ぐらい。あっという間に過ぎてしまいます。若い人は数区間でできてしまうのでしょうが、歳をとった証左であります。

 歳をとることのディスアドバンテージが、これほど鮮やかになる世相というのもこれまでになかったでしょう。加齢の速度を遙かに超えて、AI活用を中心に情報化社会が激変を遂げるなか、やっぱりロバに接する姿は聖書に登場するロバへのイメージと現代のイメージとではだいぶ違うように、遅さというところばかりが目立ってしまいます。

 少し前の老害が騒がれた世代では関白宣言よろしくやっていた姿を見慣れたものですが、私に至っては数年の違いで関白失格と相成るわけです。これは単なる嘆き節ではなく、現象学的に現実に追い抜かれてしまったことがあらわになっているだけです。と私は思っています。

 私の文章の中で登場する亡父ですが、九年前に物故して以来、菩提寺は装いを新たにしています。住職も運転して移動するという座業中心のためか、心身の衰えも(心というのはここでは加齢に伴う認知機能の変化という意味で)あると法話の中で述懐しています。参列の常連さんと言うことで今回は十道のお話は省略です。九年という月日は五十代を超えるとそれまでの九年とは違った意味合いを持つようです。

 さて、今回は時間の余裕もなく老母を連れていることもあり駅からタクシーをお願いしました。運転手さんの早口な話しぶりにはお寺や介護産業についてあくまでも、お寺については壇信徒という立場はいざ知らず葬式ユーザとしての業界評が見て取れます。お布施?とんでもない、三回忌まですればいいのでしょう、あの人達(僧侶)は本部からいっぱいもらっているのでしょうから。

 私はうわべでは薄笑いを浮かべて聞いていましたが、内心穏やかではありませんでした。寺院前に横付けで降りるときには聞いたすべてのことは忘れるようにしていました。細かいことを言うと、お布施をすることによって功徳を積むという意味があり、それが信仰の姿を支える一側面でもあるのです。それに、本部からと言うのは逆で、納める方が多いというのが実状と聞いた憶えもあります。

 別にその運転手さんの肩を持つわけではありませんが運送業界では法改正でこの年度替わりから2024年問題がスタートします。過重労働を避けるのが本旨ですが、その代わりニーズが変化しない限り薄給で過重労働させられるというザル法なのではと思い、運転手さんの早口な話しぶりはその恨み節でもあるようにも聞こえました。怒りを向けるべき相手は在来の宗教界ではなく、某団体からも含む献金とキャッシュバックを認めようとしない政界のほうではないかなとも帰りの電車で考えていました。

 こうして歳をとることが嫌になる世情であってもなお、旧態依然を恥じない政治勢力もあるのだなと思うのです。六波羅蜜実践週間とはいうものの、半ば修羅道に身を置いたままのような事を書かざるを得ないこともお許しください。

2024/03/21 ここまで

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