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遠くなる旅先

 

こんばんは🙏


 今日は旅先の小諸、もとい、いつもの自宅から文章を書いています。
 ペーさん、うばさん、お元気でしょうか。年賀状どうもありがとうございます。Webで広報こもろを拝見しました。私はそこでの出会いがきっかけで成婚した十組以上のなかには入っておりません。ホステラーの末席を汚す未婚者として、今日は思い出を語らせていただければと思います。

 

なれのそめ

 私のユースホステル遍歴は、なぜか長野ではなく岩手から始まります。まだ運転免許を持っていなかった私は、列車で北東北を一周したのです。岩手から北リアス線の野田、十和田湖畔のホテルの一室、それから上小阿仁の祖父母の家と訪ね歩きました。そのコースの途中には浄土ヶ浜に奥松島もあります。

 祖父は私が最後に訪ねた3年後に他界しています。院卒で場末の市役所という冴えない経歴の始まりであり、13年前のあの震災ですべてが変わってしまう前のことでした。それから精神を病んで辞めるまでの四半世紀後にわたる経歴の始まりでもありました。

クロスカントリースキー・ハイキング

 なんと言ったらきっかけを言い表せるのでしょうか。私のユースホステル遍歴は、小諸でほぼ連泊するというところに行き着きました。居心地が良いのです。ペーさんたちもいい人で、私は自分の両親を連れて訪ねて、小室等さんのライブに同席させていただきました。ゆいさんとの掛け合い漫才のようなライブの回もあり、楽しんでいます。

 ユースまわりをしていて白樺湖で予定時間より早く着いてこっぴどく怒られたうえ、氷上を渡って対岸の山で時間を潰すと下のバス停から雪玉が飛んできたりして散々な想いもしました。こういうときに、ペーさんの人柄の良さが思い出されて身に染み、また小諸へお邪魔したりするのです。

 ライブだけではなく、クロスカントリースキーも引率していただき楽しみました。最近は雪も少なく、北八ヶ岳周辺をめぐるハイキングも今では幻のようです。もちろん、私も若いなりにそこで知り合った好きな人もいて京都まで案内してもらいましたがその先は叶わぬ夢でした。身分差や家庭の格、懐具合でフイになったと記憶しています。前職をあとにしたのもほぼ、震災後の空気感の変化やそうした同じような事情で精神を病んだことがきっかけです。

前職をあとに

 私の身の程知らずもひどいもので、それまでの経験を小説にして方々にぶつけていました。前職を辞して障害者としての人生を歩み始めたのがその頃です。それは、同業者であった父の逝去もあり、私自身の立場もかなり危うくなってそのまま辞めることになりました。

 「ストレートにではなくふわりと書いてみてはどうか」、「世には小説家を名乗る人は沢山いるよ」とペーさん。午前中いっぱいかけて人生談義でした。あれからもう5年は経つのですね。その間にもコロナ禍(covid-19 pandemic)を挟んでいます。私も抑うつ症状の波に呑み込まれなかなか浮上できないまま今まできました。白樺湖のあとも思った通り、つらいときに小諸へ行くと気持ちが楽になります。

 昨日、自宅のポストを覗くと、浅間山のジオパーク構想と市民の会について書かれたお年賀を頂きました。今年はまとまった時間を取れそうなので近いうちにまたお邪魔したいと思います。


2024/01/04 ここまで

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