世阿弥という天才について

歴史上の人物で一人好きな人を上げるとしたら、私は世阿弥と答えます。

容姿端麗且つ文才に恵まれた、圧倒的主人公キャラであることはもちろん、言葉の細部ににじみ出る役者や芸能への深い洞察と能楽発展への情熱は、二度と生まれないであろう逸材の登場を匂わせます。

その世阿弥の思想が凝縮された秘伝書が「風姿花伝」です。世阿弥は役者を花に喩え、明快で繊細な語り口を持ってこの芸能の神髄を説きます。この伝書は長い間、一子相伝の戦略指南書として公に披露されることは一切ありませんでした。その理由を世阿弥はこう語ります。



秘すれば花なり。

人の心に思いもよらぬ感動を呼び起こす手立て。これこそが花なのだ。

ただ珍しさが花である、ということを皆が知ってしまえば、花は無くなっ  てしまう。珍しさを心待ちにする観客の目には、どんな珍しい芸も新鮮には映らないからである。見ている人にそれが花だと分からないからこそ、役者にとっての花となる。

万木千草四季折々、今をさかりと匂やかに咲き誇る花は、その時を得た珍しさ故に愛でられる。
能においても、人の心に珍しいと感じられる物事が面白さであり花である。
花は散り、また咲くが故、珍しい。
能も一所に常住せぬ所を、まず花と知るべきだ。




この花の概念は、ありえない出来事を真実として提示する奇術やマジック、動きの浮遊感と超人的な所作の美しさを追求したクラシックバレエ、完璧に調律されたハーモニーの再現を目指したオーケストラを筆頭とする管弦楽、このどれにも通底するものだと思います。

噺家の桂枝雀は、高座に掛ける噺の語り口を毎日変え、昨日ウケた小噺を引っ張る芸風を徹底的に嫌いました。この行為も「一所に常住せぬ」ことを目的としたのではないでしょうか。


人の心を動かす方法を独自の視点をもって熟知し、それを様式として昇華させ、自身も役者として体現し続けた世阿弥という人物が、何を想い誰を愛したのか、私の興味は尽きることがありません。



読んでくれてありがとうございました。
またどこかで。



日々是口実


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?