カシミールに襲われて

インド北部、カシミール地方はレベル2の紛争地帯です。私たちはその町の先にある山でトレッキングを行うため、日本を出発して20日ほど経った八月末に、カシミール地方のスリナガルに入りました。空港は閑散としていて、ガランとした構内はすこし薄気味悪かったです。


空港にはホテルのオーナーが車で迎えに来てくれていました。一泊の予定で現地入りしたんですが、計算外の事態が起こったのはこの後でした。
オーナーは市内を車で軽く案内してくれました。しかし、日本ではおそらく見ることのないであろこの町全体に立ち込める薄気味悪さは、私たちの心の奥深くにある恐怖と結びついて、体全体を冷気で包み込まれたような感覚を滞在期間中ずっと感じさせるほどの強力なマイナスパワーを持っていました。



車から見えた道路には20メートル間隔で機関銃を持った衛兵が配置されており、迂闊に車から出ようとすれば数秒以内に射撃されることは確実でした。一般の住民の姿も見受けられましたが、その顔には覇気が全くなく、ただ日常を保つだけで精一杯な様子が歩く姿ににじみ出ていました。
建物はコンクリート製のものが多く、大半は灰色で覆われていましたが、広告や看板にも鮮やかな色は使われず、まるで鉛筆で描いたような単色の世界が続いていました。


そんな街並みをぬけると、波一つ立てない鏡のような湖が広がっていました。街並みの沈んだ様子とのギャップに驚いたことを今でも覚えています。
東日本大震災の時、自宅のベランダから東北の方角を見つめました。そこはどこまでも快晴で、雲一つなく、穏やかな日差しに包まれていました。その光景に重なる部分を感じ、カーテンの向こうの世界はないのと同じなのだと思いました。


オーナーは湖畔に車を止め、手漕ぎのボートに乗るよう指示しました。滑るように水面を進むと、船の形をした宿が見えてきました。私たちは結局そこに4日滞在することになります。
理由は紛争による通行止めでした。これにより、麓へつづく道を走るジープの通行が出来ず、再開の目処も立っていないとのことでした。



通行止めのそもそもの原因は、紛争の激化によるものでした。
私たちがスリナガルに到着する3日前、80人が死亡し2000人が重軽傷を負う大規模な紛争があり、現地入りの日は町全体が厳戒態勢だったのだそうです。


あと到着が3日早かったらと考えると、いまでも鳥肌が立ちます。




3日後に降った雨は、弾丸のように湖面に降り注ぎ、穏やかな安息を有無を言わせず奪っていったのでした。






読んでくれてありがとうございました。
またどこかで。




日々是口実

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