不健全な社会

海外に行くとき、折に触れて思うことは、私が普段いる社会って本当に不健全だということです。

いわゆる発展途上国で目にするような乞食の姿は、日本だってたくさん見受けられます。でも乞食に対して社会が向ける目には、ほかの国の人々が持たない侮蔑が混じっている気がしてなりません。
なんでこんな違和感を持つのか。この答えは努力を称賛することや自己責任に基づいて行動することを過度に称賛する風潮にあるのではないでしょうか。もちろんこのような論理は、世間一般の価値観にもきちんとなじんでいて受け入れやすいですが、その軌道を外れた人を蔑んでもいいという理屈と混同するべきではありません。この混同が、私の感じた侮蔑の正体でした。

インドのバラナシという、ガンジス河のほとりにある街に滞在していた時のことでした。この街には火葬場が点在しており、ガンジス河で荼毘に付されることで死後の幸福を願う信仰が根付いているため、終活を行う場所としてはこれ以上にない条件の揃う街です。

雑に言えば巣鴨

そんなインドの巣鴨では、体感で3分に1人は荼毘に付されています。そんな頻度だから火葬場の近くなんてもう、常時歌舞伎町みたいな騒ぎ具合なんですよね。死体の担架持ったまま談笑してる人いるし。死体投げたり踏んだりするし。なんというか、死の価値が低いんです。朝起きてじいちゃんが死んでいても、その横でとりあえず朝飯食っとこうかなぐらいの熱量で死体に接するんです。
この価値観、本当にびっくりしました。こういうのカルチャーショックっていうんですね。
でもよく考えてみれば、人なんて5分息止められたらたいてい死ぬし、30㎝のお湯にだって溺れるし、結構簡単にコロッと逝っちゃうじゃないですか。そんな死体っていうものを、脱脂綿入れたり、ドライアイスで腐らないようにしたりするこの社会って、なんだかわからないけど自然ではない気がするんですよね。まるで公共の場に存在していたらいけないものみたいに扱うじゃないですか。

車とかもそうです。こっちじゃ絶対車検通らねえだろみたいな車、ごろごろ走ってるんですよ。めちゃめちゃ外みるのが楽しい。修理工場で修理するまで監禁されてるこっちの車が泣いて喜ぶ待遇だと思います。

そんなインドの乞食って、なんかすごい元気な人が多いんですよ。悪い意味ではなく開き直ってるというか、逆に見ていて清々しいし、こんなに人いたら乞食だっているよなって自然におもえる雰囲気が社会全体にあったと思います。


こんな場所を見てから日本に戻ると、まだまだ元気なじいちゃんが徘徊するからって言って施設に入っていたり、車いすがないと外には出歩けないって思いこまされていたり、精神疾患がある人は人気のないところで療養したりしてるじゃないですか。それがわたしにはどうも侮蔑しているようにみえます。健全じゃない人は公の場を乱すな!健全になれるよう努力しろ!やればできる!って言っているようにみえるんです。




あぁ、この社会すごく不健全なのかもしれない



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