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キモい自分。恋と信仰に違いはあるか。 第55回 かつお

わかめさん、こんにちは。ひさかたぶりです。かつおです。

だいぶ前回から間が空いてしまいましたが、その間、何度この日記を書き出しては諦めたか。それくらい書きたいこと、誰かに聞いてもらいたい話はあるはずなのに、書き出そうとすると掴みどころのない不快感がカーっと頭のなかに沸き立ち、心細くなって、テレビゲームがバグって停止するように何も考えられなくなるのでした。おとといまでずっと、中学生ぶりに本気で人を好きになっていたであろう昨冬の思い出について書こうと思っていたんです。恥ずかしいですが今年の春からおとといまで、本当にずっと書きたくても書けなかったのです。今までこの日記ではもんどりを打ちながら自分自身で胸を引き裂く思いで恥部をさらけ出してきたはずなのに、なぜ、こんな幼稚な恋心を書くのに怯えてしまっていたのでしょう。初めての彼女と夢の国で手を握り、イチモツをおっ勃てた話などと比べたら、書くに恥ずかしいことなどではなく、むしろ堂々と書きたいことなのですが。

まぁでも、もう、どうでもいいのです。一気呵成にここで簡略して書いてしまいましょう。元・不良でビッチ(らしい)女の子に僕は惚れたのです。始まりは正月明け、うず高く積もった見渡す限りの雪が太陽の光を反射して目も開けてられないほど眩しい日でした。僕はパシられたのです。「車を持っていないから買い物に連れていけ」と。正直、彼女はいつも態度や目つきが不機嫌そうで、ファッションもストリート調のオーバーサイズなスウェットやマフィアが着てそうなコートをいつも着込んでいたので、僕はそれまで怖くて避けていたのです。しかし急にそんなことをズケズケ頼まれてしまったので、僕は人生最大レベルで女性恐怖を抱くとともに、なんだこいつは、と、ちんけに縮こまった不快感を抱いたのでした。つまり第一印象は最悪だったのです。

しかしスーパーへ買い物へ向かう道中の車内で話してみると、意外や意外、音楽の趣味が合うし、漠然としか表現できないですが普段、人と話せないような内容の会話ができたのです。僕は心の中に新しい空間が生まれたかのような驚きの感覚でした。それまで自分の内面の話や思ってることを、そのときほど率直に伝えられたと感じる経験がありませんでしたから。彼女は僕からしたらアウトローな世界を生きてきた人間で、かつ聡明でしたので、様々なことに開かれている術を体得していたのかもしれません。真剣な質問を彼女にぶつけると、真剣に面白い話で返してくれたこと、自分の話も勇気を出してしてみると、少なくとも僕の主観では、彼女が真剣に受け入れてくれていたこと、それらは今、思い出しても自分の中で大切な時間です。ああ、きもいですね。

それから彼女とは仕事が終わったあとの深夜や休みが被った日に、よくドライブに行くようになりました。もういま思い出すと滑稽でしかたないくらい大真面目に、幼稚で根暗な哲学のような話をたくさんしました。死、アイデンティティ、自意識、居場所などのテーマ……。彼女は本当はそんな話したくないと思いながら付き合ってくれていたのかもしれません。お互いが好きな音楽や彼女が好きそうな音楽を流しながら、無言になる時間もたくさんありました。僕は女性と二人っきりで沈黙が起きても気まずくないなんて初めての経験でしたので、まるで他人に許容され、おこがましいですが自分も他人を自然と許容できているような感覚で心底、やすらぎました。彼女は、つまんねえな、こいつ、と思っていたのかもしれません。僕はどうしようもなく彼女と一緒にいたいと思うようになっていました。

ここまで書いてきてわかるように、僕は彼女と仲良くなってから悪い方向にどんどん進んでいたのです。端的に言えば、急速に精神がキモく、自己中心的になっていたのです。あー……自分で書こうとして、その時の自分がキモすぎて引き裂きたくなりますが「彼女なら自分のことが全て話せるのではないか。彼女なら本当の自分を理解してくれるのではないか」そんなことを本気で思ってしまっていたのです。まるで神様かなにかのように、彼女の前で、何もかも自分の本音や心の中で考えていることを告白することに焦がれていました。さらには、その「本音」は本当はありもしない、嘘でもいいのです。それっぽく見えて、自分もある程度「自分の本音」だと信じていられれば。多分、本当は、そのことを純粋に彼女に伝えたいのではなく、自分が懺悔めいた告白をして、それに対して彼女が真剣なお告げをしてくれることに僕は幸せを覚えていたのでしょう。自分が壁にボールを力いっぱい投げると、跳ね返ってきて、グローブでキャッチする。そのインスタントな快感と同じです。僕は彼女のことを今までの人生の中でも特別な存在、神様だと思いながら、そこらへんの壁と同じように扱っていたのかもしれません。最悪なやつです。

これは恋というより信仰だったのでしょうか。または、恋と信仰に違いはあるのでしょうか。だいぶ仲良くなってきた頃にはもう、「あれ、言ってみたけど、本当に俺、そんなこと思ってるか?」と自分で感じるような内面吐露が彼女の前で増えていました。でも、その内面吐露のようなもの、止められませんでした。

結局、僕の恋の終わりは、ふさわしいかたちとなりました。彼女は途中から僕の言っていることが薄っぺらな嘘だとわかっていたのでしょう。彼女が私の職場から離れたあとも、僕は真剣風な内面吐露をときたま止められずにいました。ある日、メッセージアプリ上でそのようなことを話していると「イタいやつだな」のようなことを言われたので「馬鹿にするな」と返すと、「いや、もうとっくの昔から馬鹿にしてるから笑笑 わかんなかったの?」と。彼女はそのような意味で言ったわけではないのかもしれませんが、そのときに血の気がサーッと引くとともに、上記のような自分のキモさに気づいて、吐きそうになりました。雨が降っていた日でした。コンビニの駐車場に車を止めて、一人震えました。精神的ダメージが身体に現れることって本当にあるのだなと、このとき心の片隅で思ったことを覚えています。

結局、彼女は今も連絡を取る、大事な友だちである、という結論です。(いろんなことを教えてくれたという意味でも)

「完全に自分を理解してくれる存在」なんているわけないのに、なぜそんな存在を信じ切って、彼女の優しさに知らず知らず甘えてしまったのでしょう。本当に後悔しているけれど、もう一度、同じようなシチュエーションがあったとして、そういうキモいことをしないとは言い切れなくて、余計に情けなくて不安な気持ちでいっぱいになります。恋の目くらましが僕は怖い。

結局、今現在の悩みにまではたどりつけませんでした……。半年近くサボっていただけあって、ネタはたくさんあるので、気が向いたら、この交換日記で書いていこうと思います。

わかめさんは北の大地でいかがお過ごしでしょうか。唐突ですが、僕はもう少し経ったら転勤で、東京で働くことになりました。正直、東京で暮らすことはもうないな、大学四年間の上京生活は思い出にしておいたほうが綺麗に反芻して楽しめていいな、となんとなく決めつけていたのですが、わからないものですね。今までの職場とは違う、会社の別部門で働くので不安でいっぱいですが、頑張ろうと思います。

では、また今度。


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