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打ち上げ花火は上がらない。 #令和最初の夏

上がらなかった打ち上げ花火。少年は「花火やろう」とは言わなかった

誰もいない寂れた路地裏と少年と花火

少年が話しかけてきて5分くらい会話。「一緒にやる?」と尋ねると「僕はどっちでもいいけど」と。結果、その場を離れた。

回想と回送

ふと頭を過ぎったのがある小説と自分が小さかった頃のある記憶。小説に関してはこの場面に直接関連性はない気がする。「少年が主人公の物語」という事以外あまり覚えていない。

恐らく幼少期の、今思えば他愛もない悩みだったり葛藤だったり、そういう描写やストーリー、そして自分の記憶がごちゃ混ぜに蘇ってきたんだろう。

小説:何かが道をやってくる

レイ・ブラッドベリの「何かが道をやってくる」。

同時期に読んだ別のもう一つ。これは名前もなにも浮かばない。けど、この2つのどちらかとリンクする何かがある気がする。

内容は定かではないが、退屈な毎日に何か変化が欲しい、別の世界へ旅立てそうな、そんな物語が読みたい。その世界にどっぷり浸かりたい。そんな思いで本を購入したような気がする。

深夜3時は昨日と今日の狭間時間

こんなことを子供の頃、深夜に目を覚ます度に思っていた。学校が大嫌いだったので4時だと絶望を感じる。もう「今日」だ。

2時だとまだだいじょうぶ。まだ「昨日」。眠る事で先延ばしできるという安堵感。そして「明日」起きるかも知れない心踊る何かへの淡い期待。実際のところ、そう自分に言い聞かせて眠りについていたに過ぎない。

3時はどっちつかずのなんとも言えない時間。存在しないはずの25時間目のような。「昨日」と「今日」、その中間に位置する狭間時間。

この思いを誰に話すわけでもなかったけど、たまたま読んだ前述のどちらかの小説内で同じ様な描写があった。

同じことを考えてる人が世の中にはいるんだな。書いたのは大人だろう。どんな事を思って書いたんだろう?

子供ながらに考え、同時になんだか救われたような気持ちになった。

知らないおじさんが買ってくれたレモンスカッシュ

人見知りが激しかったので特に会話という会話はしなかった。勇気を振り絞って一言「ありがとう」と。「もう泣くなよ」とデンジレッドは去って行った。

その場を離れていた親のところへ向かい、自慢げにレモンスカッシュを飲んで見せる。そのジュースはどうしたのか?と聞かれたがナイショにしておいた。

未だに、時々その事を脈絡なく思い出す。意識するわけでもないのに割と鮮明に、映像として頭の中に浮かんでくる。決まって、なぜか第三者視点。もう主観視点ではない。

恐らく、長い人生の中で度々思い出し、反芻する内にそうなったんだろう。

デンジレッドは些細なその出来事を思い返すことは果たしてあっただろうか。

打ち上げ花火は上がらない

少年は無邪気に話しかけて来た。特に寂しそうな印象はなかった。反面、無理に元気に見せているようにも感じた。花火について5分くらいその場で会話。

少年「車の近くでやったら爆発するかな?」
少年「どのくらい上がるかな?屋根より上まで行く?」
少年「線香花火もあるよ」
俺「今からやるの?」
少年「もう少し暗くなったら」
俺「そっか、一緒にやる?」
少年「僕はどっちでもいいけど。」

その回答を引き出したかったのか自分でもよくわからない。少年が一緒に花火をやりたがっていたのは明らかだった。

人を待たせていた事もありその場を去った。去り際に、誰もいない路地の花火の置かれた方へ歩いて行く後ろ姿が視界に入った。

10分と経たずにあたりは暗くなった。

もし一緒に花火をやったら少年にとっては記憶に残る瞬間と化したんだろうか。10年、20年と時間が経過し、ふと思い出すかもしれないそんな分岐点だったんだろうか。

デンジレッドへの恩返しみたいな思いがあるのか、主人公である少年のための「脇役の一人」を演じきれなかった罪悪感のようなものなのか。

あの後一人で花火をやったんだろうか。

形はどうあれ、結果的に「拒否」。そして上がらなかった打ち上げ花火。

もしかしたら、打ち上げ花火が必要だったのは俺の方だったのかもしれない。






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