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教えるの辺縁

ドクターストーンを読んで思ったこと。
読んで思ったことの一つに「主人公の千空は教えることをしない。」という印象がある。むろん、いろいろなことは伝えたり説明したりはするが、教えてはいないように感じる。教えないということは、自分で進め、頼みはする・分担する振る舞いであるかもしれない。
もちろん、全員に教えないわけではなく、科学に関連する方向に関心のある クロム には進んだ科学の内容を教えているようにも見える。ただ、他のメンバーを啓蒙するようなそんなシーンは見られない。


これは、教えている時間がない。ということもあるのかもしれない。
今、教えるという言葉からイメージしているのは、”学校のような形で教える”イメージである。授業型で教えると、理論が先行し実践に生きるまではややラグがある。
Dr.STONEの世界では、敵対勢力もあり時間的にはそこまで猶予は存在しない。

目的に対して「教えるということよりも自分で行う」もしくは「感心する人を近くに置き一緒に見せる」ということが、関心のある関係者を作りつつ、目的に向かって実現するためには最適なのだろう。
私は、割と知識の差や経験差がある場合に有効な手段として教育をイメージしてしまうが、それは確かに場合によっては最適でない手段なのかもしれない。
実際、呪術回戦での五条悟は遠い未来の仲間が作るために教育という選択肢は持ちそれを実行している。

千空は教えないが、説明はしている。この「説明するかどうか」は案外影響範囲がわかってくるのかもしれない。Dr.STONEでは大樹が、千空が前に言っていた台詞として「畑に石灰をまく」という行為をしている。記憶が正しければ、大樹は具体的な中身は理解していなかったが、植物の生育促進につながっていた。
教えるという手段はとらずとも、内容伝達ができる状態になる。その意味で説明することには少しは価値がある。

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