問い掛け-14<失望>

<失望>

 ダンプの運転手はもちろん、その勤め先の土建会社からも、これといった賠償や見舞いもなく、入院費も殆んどが自己負担であると養母から聞かされた。

 どちらが悪いのかは別にしろ、人身事故なのは事実。自動車側が責任を負うのは、当時は当たり前。まして私に記憶が無く、それも七歳の子供だから・・・・。

 例え本人が任意保険に加入してなくとも、ダンプの所有者である会社側がそれなりの賠償、もしくは態度で示すのが筋ではなかろうか。しかし、梨の礫だった・・・・。

 養父は、全く相手にされないのを憤り、会社と創価学会の市会議員に相談をし、結局、議員と一緒に会社へ赴き、直接経営者と談判する事に決めた後、養父は当日、その会社に赴いた。ところが、その約束した議員はいつまで待っても現われなかった。要するにスッポカされたのだ。 養父は、海千山千の社長と語り合う術もなく、まるで子供の手を捻られるようにあしらわれ、言う迄もなく、手ぶらのまま帰らなければならぬ結果となり、生き恥に近い屈辱を味わうこととなった。

 当時、養父を実の父親だと信じていただけに、このショックは落胆以上のものだった。

 父は、自分を守れるような男ではない。いざと云うとき、息子の私でさえ守ることも出来ない無能な父なのだ。と、そんな不審の念がフツフツと湧き上がると同時に自分の存在すらも情けなくなり、まるで船の底が抜けたような、無力感と失望を味わう一日だった。

 それからの養父は、創価学会員に対する人間不信が募り、翌日から会合に出席せず、その身替わりとして私を出席させた。

 養父はそれでも日蓮聖人は別だと断言し、正しくないのは公明党の学会員だと呟き、居間の落とし掛けから池田大作の額を降ろした。後で養母が、

「父ちゃんじゃ、詰まらんからねえ。しょうがないわ。」 と落胆し、壁に向かってポツリと呟いた後ろ姿を見て、義父への失望は尚深まるばかりだった。

 養母を実の母と信じている私は一方、昨年の夏にF姉ちゃんが現われてからというもの、あのアルバムを聞くことが多くなった。

 数日後、何かのキッカケで養父が養母を二階から突き飛ばし、階段から落ちたため、両腕と腰を打撲した挙げ句、高熱を出して寝込んでしまった。私の居無い間の喧嘩だった。

 間違いなく養父の一方的な暴力だ。

 養母は四、五日ほど台所に立てず、インスタントラーメンと缶詰の食事が続いたのは忘れない。この時ほど、私がもう少し大きければ養母を守ることが出来たのにと、小さな頭で養父の暴力を止めるには力で対抗する以外、あり得ないのだと、勝手に思い込んだことがある。

 また、或る日養父は驚くことに、斯うも言っていた。

「友達の言う事は聞いて、親の言う事は聞けんのか。先生の言う事は正しくて、親の言う事は間違っちょるんか。なら、その友達が毒を飲めと言ったら飲むんじゃろうのお。先生が毒を飲めと言ったら一明は飲むんじゃな。先生の方が正しくて、先生の言うことを聞くんなら、先生の子になったらええんじゃ。」 と突然、怒り出し、支離滅裂な啖呵を切り、眼で凄み、身体を震わせて仁王立ちになる。

 学校で友達と遊ぶ約束をしたために養父と一緒に町に出掛けられないと断ったことと、授業で先生が教えて呉れた生活の知恵を活かす意見を出したときの、養父独自のドンデモ価値観の屁理屈を聞かされたときのものだった。

 養父はいつも突然キレた。まるで二重人格者と思われるほど豹変し、こちらが冷静に反論したりロ答へをしようものなら覿面、尚一層凶暴化し、癇癪は最高頂に達した。頭に血が昇り真っ赤な顔になり、手足が飛ぶ。

 しかし妙に優しくなることもあった。猫なで声で、言葉少なに、

「大丈夫か。何かほしいものはないか。」

と言い寄りそれ以上の会話が続かない。黙っていると、間が悪くなり、すごすごと退き下がりいつの間にか居無くなっていた。

 養母を二階から突き落とした翌日もそうだった。

「母ちゃんはご飯が炊けんようになったからのお、我慢して具れの、済まんの。母ちゃんが悪いんじゃないからの。」

と云って、まるで発作が止んだように人が変わり、思いやりのある言葉を掛けられた時は、 一瞬とまどってしまい、言葉が出なかった。養母と私は、そんな養父の病的なまでな癇癪に付いて行く気になれなかった。常識ではとうてい考えられぬ奇異な価値観。小さなプライドに固守するためか、暴力でしか押し通すことが出来ない、怒りの矛先は常に自分より弱い者にしか向けられない卑劣さ。それも妻子にしか当たれないもっとも卑劣な内弁慶だけに、私の失望感はどんどん膨らむばかりだった。

 或る休日の昼頃、帰宅途中で同い年の男の子が自宅の庭で父親とバトミントンを楽しく興じていたのを眺めながら歩いていると、簡単なスマッシュを取りそこねた父親に向かって、その子が

「やったー。バカだ、バカだーあ。」

と叫んでいるのを聴いて、思わず立ち竦んでしまい・・・・

 あの子は、今、父親に対して「バカだ」と言った。それだけでなく、一方父親は「えへへ、まいったなあ」 と笑って、普段と変わらぬスキンシップであるかのように怒る気配は微塵もない。何もなかったかのように 楽しく競っている。その子の父親の笑顔と養父の激高した真っ赤な顔との落差を考えた。

 何故、どうして、これ程まで、うちとは違うのだろうか。

 もし冗談であっても、私が養父に「バカだ」と一言でも呟けば、間違いなく半殺しの目に遭うのは目に見えていた。父の逆鱗に隠れるキッカケは、いつも決まっていた。それは劣等感を刺激する一言で充分だ。 同い年の親子だけに、これ程までの違いを目の当たりにさせられると、 心境に変化が起こらぬ筈がない。

 養父への不審と父性の欠如は更に大きくなり、失意の底は、もはや通り越してしまい、 小学三年生で既に親に頼る依存心は諦念の域に達してしまっていた。

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続く  

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