問い掛け-5<愛犬コマ>

<愛犬コマ>

 移り住む場所は、市道を挟む向かいに義姉夫婦が住んでいた辺部な山奥だった。

 山の清水を飲み水とし、小川での洗濯、夜はランプで明かりを灯す生活が始まった。

 思い返せば、既にこの頃から養父母以外に渇愛を求める可笑しな行動癖があった。

 姉夫婦の飼う二匹の犬のうち、一匹が、私に懐くようになり、そのキッカケで、夜泣きが治り、養母は喜んだという。そういえば傍らに茶色の大型犬がまるで私の守護神のよう に寄り添って坐っていたのを想い鳶色の眼。吠えることなく、いつも静かに私の動作を見つめている姿。

 あいかわらず「カックン」と、その犬にも私は叫んでいた。それ以上、別の言葉が出ないのか、覚えようとしないのか、ただただ、繰り返すだけとのことだった。もしかすると養母以上に、その犬に渇愛を求めていたのかも知れない。

 小学生の頃、養母から、その犬の名は『コマ』だと聞かされた。

 私のお守りをよく熟して呉れた、とても賢い犬だと言う。又、砂遊びの最中、私がコマの頭上からバラバラと砂を落として遊んでいたこともあった・・・・。するとコマはその 砂を避けようともせず、まともに受け、私の為すがままだったと。当然、砂は眼に入り、 眼を開けていられない。ところがコマは、両眼を真っ赤にし、凝っと坐り続けていたという。

 このエピソードを知ったとき「ウソだよ」と強く否定し、コマをいじめたような記憶がないから、と否定した。

 しかし、養母だけでなく、養父も口を揃えて、

「コマはのお、賢くて優しい我慢強い犬じゃったのぉ。眼を真っ赤に腫らして、ずっと坐っちょったからのお。一明が幼いと知っとるからっと耐えていたんじゃぞ。」

と言われ、にらみ返された。

 養母も、「コマのように我慢強い人が昔は多かったもんじゃがねえ。」

と、まるで旧知の恩人を偲ぶかのようにコマに思いを絶せ呟いた。

 犬の好きな僕が何故に、と何度も否定し、波が滋れた。

 それから当分の間、その頃の情景を想い出すたびに、胸が詰まり、喉が締めつ 思いを何度したことか。

 いまにして思うと、当時の私は、コマとの触れ合いによって渇愛が癒され、心は静謐に満たされていたのではないだろうか。むしろコマの方が幼児の内面から香気のように滲み出る歓喜の匂いに即応していたのではなかろうか。

 盲導犬や介護犬が主人の心に感応し、献身的に振るまうことがむしろ使命であるかのように。いうまでもなく、当時の私は三歳。善悪の観念もない無邪気そのものの行ないだから・・・・。

 養父が、ときどき私を自転車の荷台に乗せていたのを思い出した。走っている最中、落 ちたこともあれば足を挟んで死ぬほど泣いたこともあった。その都度、養父は顔を真っ赤にして叱り飛ばすので、痛みを癒す慰めにはならず、むしろ養父の顔が恐ろしくて泣いていた。多分、この頃から養父の直情気質を肌で感じとっていたのではないだろうか。

 こんなとき救われたのはコマの存在だ。私の感情を直ちに察し、機敏に反応したのは養父でなくコマだった。

 いつも、どんなときでも、必ず駆け付け、寄り添って呉れた。

 ときどき、養父と一緒に町へ出掛けるとき、必ずコマが走って付いて来た。まるで母親が我が子を見送るかのように、いつも同じ場所まで来て、ピタッと止まって坐っていた。

 そこからずっと小さくなるまで眺めていてくれたのだ。

  山肌の真砂の茶色とコマが重なり合い、見分けがつかなくなるまで何度も何度も振り返った。

 コマは、人の心を備えた不思議な犬だった。そして、周りに貴重な体験を与えて呉れた 愛犬であり母の化身だった。

 一方、思い返すと、何事にも寛容で自然体の養母の存在がこのような原体験を導いて呉れたのではないかと思う。

 なぜなら、例の砂遊びの最中、養母は遠くから見守りつつも、最後まで成すがままを貫き、決して介入して来なかったからだ。

 もし、コマ以外の犬なら、私は咬まれていて当然。否、むしろ犬の両眼に砂を掛ける行為自体、普通の親なら直ちに止めさせていた筈だ。

しかし、養母は、そのときの空間を、コマと私の全てを、その先までも見切っていたのだ、間違いなく、確かに・・・・。

今も、そう信じている。

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続く。

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