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「命が惜しいのは、虫も人も同じことだ」─虫の日記念『蟲虫双紙』チラ読み

6月4日は虫の日。工作舎刊『蟲虫双紙(むしむしそうし)』をご紹介します。上方文化評論家の福井栄一さんが日本の古典文献から虫にまつわる物語や言い伝えを集めて、読みやすく現代語訳した一冊です。

2022年4月に刊行された『蟲虫双紙』
B6判変型 218頁 1,700円(税別)

昔々から人間は、形態も性質も多様すぎる虫たちをこわがったり、嫌悪したり、かわいがったり、あがめたりしながら、とにかくずっと共存してきたんだということが、この本を読んでいるとよくわかるのです。

武田信玄はいもむし恐怖症

それでは『蟲虫双紙』に収録された物語をひとつをお読みください。
題して、蜂の恩返し。武士と虫のお話です。


蜂の報恩 「十訓抄」上巻

兵(つわもの)の某は敵に居城を攻め落とされ、命からがら初瀬山の奥へ逃げ込んだ。
追手の目をくらませるため、某は笠置という山寺の岩穴に身を潜めた。
すると、岩穴の下の方の蜘蛛の網に一匹の蜂が掛かっていた。そのままでは早晩、蜘蛛に巻き殺されてしまうだろう。
某はこれを憐れみ、
「お前も俺も、敵に狙われて初めて命の尊さに気付いたと言える。命が惜しいのは、虫も人も同じことだ」
と言って、蜂を網から取り出し、逃がしてやった。

すると、その夜、柿色の衣を着た男が夢枕に立ち、こう告げた。
「昼間は有難うございました。私は蜘蛛の巣からお救い頂いた蜂でございます。しがない虫の身の上ですが、ご恩を忘れは致しません。つきましては、私の申し上げる通りになさってみて下さい。そうすれば、宿敵を討ち滅ぼすことがお出来になると思います」
これを聞いた某は言った。
「そう言ってくれるのは有難いが、どうやって敵を討つというのだ。俺の家臣は殆ど殺されてしまった。今や城もなく、頼れる味方もおらぬぞ」
しかし男は諦めず、
「そう情けないことをおっしゃらず、生き残った家臣の皆様を捜し出し、なんとか二、三十人の頭数をお揃え下さい。私の方は、この後ろに山にある蜂の巣の衆を味方につけます。少なく見積もっても、四、五十の巣はあるでしょう。その加勢があれば、必ずや敵を倒せるはずです。
ところで、今度、敵と闘う際には、ご自分から攻め寄せてはいけません。待ち伏せて闘うのです。
それにはまず、元のお城のそばに仮小屋をお建てなさい。
そして、そこに、瓢箪や壺など、小さな容器を幾つも置いて下さい。私の仲間が少しずつ分かれて隠れるためです。
戦端をひらくのは、これこれの日が良いでしょう」
と言い含めてから、姿を消した。

と、ここで某は、はっと目が覚めた。
夢の中でのこととはいえ、味方を得た嬉しさで士気が上がった某は、夜になると早速、岩穴を抜け出した。そして、そこかしこに隠れていた生き残りの家臣たちに、
「このままでは男の名折れだ。もう一回だけ、俺に命を預けてくれぬか」
と頼み込んだ。
すると家臣たちは、
「このままこそこそ逃げ回って生き延びても甲斐がありません。共に戦わせて下さいまし」
と言って立ち上がり、たちまち五十人ほどの勢力となった。
次に某は、夢で言われた通りに仮小屋を建て、あちこちに小さな容器を置いた。
家臣たちは訝しがったが、
「俺に策があるから、任せておいてくれ」
と言い聞かながら、入念に準備した。

さて、そうこうするうち、問題の日になった。
夜明けになると、山の奥から、数百匹の蜂の群れがいくつも飛来し、用意されていた容器の中へ分かれて隠れた。
こうして準備万端整うと、某は敵方へ、
「今後のことを話し合いたいので、何処何処へ来られたし」
と知らせを送った。
敵方は、
「行方が分からず困っていたが、まさか自分から居所を知らせて来るとは。愚かな奴だ」
とほくそ笑み、三百騎もの大軍で、指定の場所へ押し寄せた。
そこへ至って見ると、某の手勢はせいぜい四、五十人。思ったよりも遥かに少なかった。
そこで敵方は甘く見て、性急に突撃して来た。
と、その時……。
待ち構えていた蜂たちが、仮小屋の容器の中からまるで雲霞の如く湧き出してきて、数十匹ずつ、敵の兵士にとりついた。そして、目や鼻や手足など、あらゆる所を刺した。
兵士たちは馬から落ちて転げ回って痛がり、苦しんだが、どうしようもない。
勿論、叩いて殺したりもしたが、なにぶん、たかって来る数が多過ぎて、数匹やっつけたところで意味がなかった。
そうやって戦闘不能になったところに某の一行が襲いかかったから、敵方はひとたまりもなかった。
こうして、某は僅かな手勢で敵を全滅させ、居城を奪還したのだった。
なお、某は犠牲になった蜂を悼み、笠置の山へ埋めて、供養の堂を建ててやった。
更に、戦の日を蜂たちの忌日と定めて、懇ろに供養を営んだという。

(おしまい)



いかがでしょうか?
冒頭で「命が惜しいのは、虫も人も同じことだ」と命の大切さを言いながら、蜂がリベンジを勧めたりするものだから、結局また戦をして敵を全滅させたりするわけですが、物語のさいごに、死んだ蜂の供養をするところが日本らしいなあと思います。
一寸の虫にも五分の魂、日本には古来から農作のために殺した虫を供養する「虫供養」の伝統があります。
現代では殺虫剤メーカーや害虫駆除会社が手厚く虫の慰霊祭をいとなんでいます。

 上野寛永寺には、文政4年に建てられた虫塚碑があります。これは写生に使った虫たちの魂を慰めるため、伊勢長島藩の大名画家 増山雪斎の遺志によって建てられたものです。

上野寛永寺の境内に今も残る虫塚碑
虫を写生するために死んだ虫たちの魂を慰めるために建立されました


鎌倉の建長寺には養老孟司先生が建立した虫塚があり、6月4日のむしの日に毎年法要がおこなわれています。隈研吾さん設計の追悼モニュメントは虫籠をイメージさせますね。


今回ご紹介したのは蜂の恩返しでしたが、虫はひとすじなわではいきません。ゾワゾワッとする怪異話もいろいろあります。
みみずの吸い物を姑に食わせる嫁(今昔物語集)やら、しらみを紙に包んだまま三年間放置した男の末路(宿直草)やら、蝶恐怖症の侍の話(折々草)やら……。
ぜひ『蟲虫双紙』でゾワゾワムズムズしてください。

福井栄一さんの同シリーズ『幻談水族巻(げんだんすいぞくかん)』も2022年6月に刊行します。こちらは水にゆかりの深い生き物たちの話を集めました。目印は人面魚のカバーです。


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