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<awareness>よど号ハイジャック事件を今、改めて振り返る

毎年3月31日になると半世紀前のよど号ハイジャック事件を思い出します。


1970年3月31日 

中学生の私は一人で万国博覧会見学の帰途、フェリーの中にいました。
大阪港で叔母に見送られ、松山港に父が迎えにきているはずでした。

その船内に、よど号ハイジャックのラジオ放送が流れました。
途中からだったので「乗っ取られました」から。
フェリーが乗っ取られたのかと思った乗客は騒然となったのを覚えています。

Wikipediaの情報

あれから、暫くは、新聞や週刊誌の断片的な記事を見逃すと何の情報も無かったのですが、デジタル社会になって
さまざまな情報を見ることができるようになると、当時の背景や、亡命したハイジャック犯のその後などを、容易に知ることができるようになりました。

Wikipediaだけでも、かなり詳しく紹介されています。

ハイジャック犯のあまりの幼稚さ

ハイジャック犯のあまりの幼稚さにも、笑うしかないです。

3月27日に決行予定だったのですが、4人ものメンバーが飛行機に乗り遅れています。
飛行機に乗ったことが無かったので、電車感覚で、発車時刻前に行けば乗れると思っていたようです。

北朝鮮を選んだのも、キューバを目指して、接触したキューバ大使から拒まれ、日本と敵対している国はいい国に違いないと北朝鮮を選んだそうです。

機長にここへ行け、と見せた地図は中学生用の地図帳のコピーだったようで、航路図も無く、機長は管制通信を頼りに飛行したそうです。

騙されて、一度は北朝鮮ではなく、韓国の金浦空港へ着陸しますが、容易に騙されたのは、英語も朝鮮語もわからなかったからだと言われています。

事件に関わった人たち

この事件には多くの後日談があります。
当時一躍ヒーローとなった機長は有名になりすぎて、女性関係を暴かれ、失職。
人質交換に名乗り出た山村次官も、最後は精神を患った次女に殺害されて生涯を閉じています。

ここまで目立たなかったら、こんな私的なことをいつまでも残るWikipediaに書かれなくてもよかったのにと思うと、胸が痛いです。

現在も北朝鮮で暮らす実行犯の様子はこちらに詳しく紹介されています。

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/71341?imp=0

ストックホルム症候群なのか?

よど号の中では人質とハイジャック犯との温かい交流をストックホルム症候群と捉えているようですが、
二十歳そこそこの、世間知らずの若者の暴挙を大人たちが国境を超えて見守った事件だったと、大人になった自分は理解しています。

個人が知り得ることは、全てでは無い

1970年4月4日
北朝鮮政府は赤軍派の亡命受け入れを表明、これに対して日本政府は北朝鮮政府の対応に謝意を示す談話を発表しました。

私たちが見ているものは、世界で起こっていることのほんの一部にすぎない。
個人が知り得ることは、氷山のかけらでさえない。
政治、経済、環境、医療 など、大多数の専門家の一致している意見が正しいと私は思います。

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