世界の歴史を動かした映像の威力

2001年9月11日に世界同時多発テロが起こった。このテロにより約3000人もの犠牲者を出しこれはた史上最大のテロ事件として今もなお語り継がれている。

映像にはアメリカ各地の空港でテロリスト達が簡単にとセキュリティチェックを逃れているのが記録されているという。

今回はこの最悪のテロ事件がどのようにして行われたのかを振り返っていく。


史上最悪のテロ事件

午前8時24分ハイジャック犯の肉声が航空管制官に飛んできた。それは「飛行機をハイジャックした。大人しくしておけば問題はない」というテロ組織からの言葉だった。

航空管制官は急いで軍に緊急事態を報告する。

しかし対策は間に合わず8時46分にワールドトレードセンターに一機目が激突した。大きな爆炎の煙が上がりその映像がテレビで流され世界に衝撃が走る。

そしてまさにテレビ中継がされている時、9時3分に2機目の飛行機が突入することになった。

その衝撃を世界はリアルタイムの映像で見ることになる。

ブッシュ大統領はそのころフロリダの小学校に訪問していた。補佐官が大統領に歩み寄り耳元で「アメリカが攻撃されている」と告げる。大統領は顔をしかめるが子供たちの前では冷静を装いその後も10分ほど子供たちと一緒に授業に参加したという。

二機目の飛行機が突入したことによりワールドトレードセンターは地響きと共に南東側のタワーが崩壊した。

真下にいる国民は逃げ回り辺りは砂煙を巻き上げ悲惨な現場となる。それから3日後ブッシュ大統領はテロ現場に訪れ「テロと戦う」ことを宣言しその支持率は90%まで上がったという。

その頃アメリカ国民の多くは喪失感や怒り、そして復讐したい欲望を強く抱いておりその感情に呼応するかのように戦争に突入することになった。2001年10月にはテロ組織アルカイダの引き渡しを拒むアフガニスタンへの攻撃が始まる。


イラク戦争勃発

その攻撃に合わせてオサマビンラディンが世界に向けてアメリカと戦うことを映像を通して宣言した。

そうして世界各地のイスラム教徒はオサマビンラディンを支持することになる。

1960年代ごろ米ソの対立により世界各地で代理戦争が行われていた。その頃に蔓延していたアメリカへの不満がそこで爆発したのだ。世界の覇権を握るために戦っていた冷戦の中心であるアメリカは多くの憎しみを買っていた。そのせいで史上最悪のテロ事件が勃発したのだ。

そして戦争はより過激になり2003年3月にはイラク戦争も勃発することになる。


それにより独裁者フセインの像が倒された。アメリカはこの戦争を「正義の戦争」だと語ったがその声は世界には届かなった。アメリカの行為は行き過ぎを見せテロに加担していると思われる人間には厳しすぎるほどの追及があった。刑務所アブグレイブにいる囚人の容疑者を拷問し、そこではレイプや暴力が横行していたと言われてる。

そこでイラク国民はデモを起こし世界各地で反アメリカの抗議を巻き起こす。

イスラム過激派の組織が登場し彼らはアメリカ兵に拷問を受けていたアブグレイブの囚人の格好をさせて虐殺しその映像をネットで流した。その映像は世界に衝撃を与え悲劇の連鎖が続くことになる。

ネットが大きな影響力を示すようになった背景には2004年12月にマレーシアの浜辺に巨大な津波が押し寄せたことがきっかけだった。大津波を一般人が撮影しその悲惨な映像が各地のテレビ局で取り上げられたのだ。


ネット動画の革命

その映像を見たチャド・ハーリーを含む3人の若者が誰でも動画を投稿できるサイトを作ることになる。

それがYouTubeである。

YouTubeにより世界で何が起き、どこで何をしているかを誰もがすぐに認識できるようになったのだ。そして多くの若者が動画を投稿し新たな文化を生むことになる。

誰もが映像を簡単に出せる時代になったことで国家の情報規制は通用しなくなり映像で見せる真実に世の中の人々は大きく揺れ動かされることになる。ある映像ではアメリカ兵が、戦争被害を受けた仲間を救出しているイラク国民を銃撃する映像が流れた。

その映像をあらゆる人が見ることになり世界中から多くの非難を浴びることになったという。

そこから更にネットの映像により世の中が大きく変わっていく。

さて話はまだ続くか今回はここまでにする。続きは次回にしていきたいと思う。

では今回はこれで以上。
ありがとうございました。

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なっかん

学んだことや気づいた事などをノートにメモ的に残しています。個人の完全な趣味で活用しているだけですが興味があれば是非。
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