皐月という特別なキャラクターに

4/25に浅草九劇に小屋入りして舞台を仕込み、27日~29日という3日間で8ステージ(2チーム)で上演する劇団皇帝ケチャップ第8回本公演『私の娘でいて欲しい』は、一人の女の子と、その周りの大人(母や父や義母)たちのお話。

その前に私が今回この作品を書こうと思ったのは、自身の整理もしておきたくて書き始めたというのが最初だったかもしれない。

私の父はある種、破天荒な人でした。そんな人はよくいるのかもしれない。ただ、浮気相手との不倫旅行に小学2年の自分を連れて行ったり、その人の家に泊まらせたりと、今思えば何だったんだろうかあの頃という時間は。

子供ながらにこれは母には言えないことだなとは思っていた。どうしてそう思ったのかはわからないが、これがあまり話してはよろしくないことだとは理解していた、とまでは言えないが、感じていたのだろう。特に父が口止めをしてくるなんてことはなかったが。

小学校6年の頃、まさに11歳の頃、両親が離婚をした。父と暮らした経験は正直覚えていないので生活が大きく変わったということはなかったが、しっかりしなくては、というのはあった。あんな父のようになってはいけないと考える日々を送った。

それが徐々に自分を殻に閉じ込めることになり、人との関わりに対して希望を抱けなくなり、言いたいことも言えなくなっていった。

それでも私個人と父との関係は変わることなく、半年に一度とかで会うような関係をキープした。会っていることは母には伝えて、母がどう思うかについてまではあまり考えが至らなかった。私は特段父を嫌ってもいなかったが、父という概念でその人を見ることもなかった。だから父を父と呼んだことは一度もない。そしてその距離感からか、常に敬語を使い合っていた。そう、父もまた私に距離を感じていたのだろう。

学校の話を聞いてくることもないし、まるで出来の悪いサラリーマンの雑談技術のような今日はいい天気ですね、そうですね、みたいなエレベーター前の何にもつながらない話をし合うような関係がずっと続いた。

父が私と暮らしたいと思ったことがあったのか、それは一生聞くことはもう出来ないのだが、私が今とても悔いているのは、父と母、どっちかを選ばなくてはいけなくなったとき、最善の選択肢を取ることもなく、片方を選ぶという最悪の決断をしたことだ。

それが結果として、私は父が死んだことを死後に知らされることになり、どこに埋められているかも知らないこととなる。浮気相手と再婚したことも知っているし、異母兄弟がいることも知っているが、きっと一生出会うことはないだろう。会ったところで言うべき言葉もない。

ただ、父を見限った(二度と会わないと誓った)時、会える時に会っておかないとただただ後悔しか残らない人生を送ることになるとまでは読めていなかった。

そんなことを踏まえて、私は皐月というキャラクターに後悔のない人生、選択をしてもらうことで私自身をも救って欲しかったのかもしれない。

とまあ、徒然に書いてしまったが、チームヒマワリもチームバラも、感情の見せ方、表し方は異なる。

しかし両チームの皐月を見ていて時に苦しくなる。性別が異なるから100%の理解は出来ないものの、私が感じたことを、その瞬間の葛藤を再体験させられてきた3月、4月でした。

あと何度私は彼女たちの中に子供だった私を見るだろうか。その子はちゃんと前を向いて歩けるようになるだろうか。どうか私とともに見守ってほしいのです。彼女の選択を。

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