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私が子供達にしてあげられること

未来における危機、危険を回避したりリスクを軽減するために予め想定して対策を行う危機管理。

とても、ネガティブな未来を想像して、それに対する対策や、そうならないようにする対策などを
まだ起きていない現在に
出来る限りのことを準備しておくことである。

それは、きっといざという時に役に立つはずだ。

多くの子供達が受験などの試練や苦難に立ち向かっている時、
親は何ができるのだろうか?

塾や予備校に行きなさい。
受験勉強をしなさい。
そうしなければ受からないよ。
もしそうなったら、あなたの未来は良くないことになってしまうよ?

と、危機管理のようなつもりで、
呪いのような言葉をぶつけていないだろうか?

その言葉の本質は、子供が直面している未来の危機に対し
『子供のため』と思っているのだろうが

『受からなかったらどうしよう?』
『この子の未来は大丈夫だろうか?』

というような
もし、ダメだったら…というネガティブな未来を勝手に想像し、
それが悪い未来だと妄想し、
親の思いや不安な気持ちや勝手な常識と思い込んでいることを押し付けていないだろうか?

未来に対して準備をすること
それを教えることは間違いではないと思う。
けれど、ネガティブな事を前提にして話していないだろうか?

本当にそれが、その子にとって一番の選択なのだろうか?
未来や可能性は、無限のごとく沢山の選択肢があるのに。

そして、きっと一番大変で不安なのは子供本人なのに。

より良い学校がより良い未来に繋がるとは限らない。

その子が選択した未来が、どんなことであっても
間違っているのではない。

どんな選択も、成功や失敗ではなくて、そこにご縁があるのだと思う。
親の思いや期待を受け入れて、子供が自分の人生を犠牲にする必要はない。

どんな時も、どんな所でも
その人がどう生きるか、どう生きたいかが大切なのだと思う。

だから、子供を信じて
子供の幸せを信じて
子供の幸せな未来を信じて

子供にアドバイスをするならば
幸せな未来を前提として

自分の望む未来を選べる。
探し、見つけることができる。
幸せに生きることができる。

それは自分が望めば可能であるとと教えてあげたい。

親が、呪いや呪縛の言葉を
かけないように気をつけて

どんな選択もどんな結果も
受け止めて

その先にある子供の成長と学びと
その子が幸せに自分らしく生きられることと
その子の生きる力を信じていることが

親が子供にしてあげられることだと思う。

もちろん、信じるだけで
何もしないわけじゃなくて
できる限りの経済的支援や
炊事洗濯や日常でできることなど
親ができる精一杯の愛情をこめた応援で
子供の将来の幸せを願い、祈り、信じて
日々を子供と幸せに過ごす。

親にできることは
その子の未来を切り開くことではない。

自分の人生や自分の未来は
誰かと一緒にいたとしても

自分で歩いていくしかないのだから。

サポートありがとうございます。これからも頑張ります。🐈✨