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《陰騭録》囚人を助けたお話

今日は囚人を助けたもう一人楊さんのお話をご覧ください😊

《陰騭録》積善の編

寧波出身の楊自懲は、最初は地元の役所で仕事をしていましたが、彼は心の広い善良で法を守り公平な人でした。

当時、厳しい地方官がおり、彼は囚人を血が出るまで殴りつけ、怒りを抑えられませんでした。

楊自懲は囚人のために嘆願し、地方官に許しを乞いました。

地方官は「この人は法を犯して天理に背く者です。怒りを感じないはずはありません!」と言いました。

楊自懲は頭を下げて言いました:「朝廷は長らく正道を踏み外し、民心は乱れています。事件の真相を知っても、同情しか生まれません。喜びを感じることはありません。怒りを感じることもないでしょう。」

地方官は怒りが消えました。

楊自懲の家計は貧しく、他の人からの贈り物も受け取りませんでした。囚人が食事がないとき、彼はしばしば助けを差し伸べました。

ある日、新しく到着した囚人たちには食べ物がありませんでした。彼の家にもほとんど米がありませんでした。

彼が囚人たちに食べ物を与えれば、家族は食べるものがなくなりますが、与えなければ囚人たちが可哀想です。

彼は妻と協議し、妻は尋ねました:「囚人たちはどこから来たのですか?」

彼は答えました:「彼らは杭州から来ました。彼らは長い間飢えと寒さに耐えており、顔に血の気がありません。」

したがって、夫婦はその少ない米を粥にして囚人たちに与えました。

その後、彼らは2人の息子をもうけ、長男は楊守陳、次男は楊守阯と名付けられ、南北の吏部侍郎になりました。

長男の息子は刑部侍郎で、次男の息子は四川の廉憲になり、有名な官僚として活躍しました。現在の楊楚亭と楊德政も楊自懲の子孫です。

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