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《陰騭録》改過の編の畏敬の念について

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第二に、畏敬の念が必要です。

天地鬼神は髄所にあり、霊的な存在を欺くのは難しいです。

私の過ちは他人には見えないか、微細で目立たないかもしれませんが、天地の中にいる霊的な存在はすべてを明確に見ています。

大きな過ちは災害を引き起こし、小さな過ちは幸福を損なう可能性があります。

なぜ恐れないのでしょうか?

さらに、私が滞在する場所でも、霊的な存在は私を完全に観察しています。

外見を隠して装飾しようとしても、不安が心から漏れ出し、最終的には自分を騙せないでしょう。

誰かに見破られた場合、それはますます恐れが入り、不安を感じないわけにはいきません。

それでも息がある限り、大きな罪を犯したとしても、悔い改めることができます。

過去に悪事を働いた一生を送り、死の際に悔い改め、善念を発し、良い結末を迎えることがあります。

これは強烈な畏れと改善の念と呼ばれ、百年にわたる悪業を浄化できます。

まるで千年の暗闇を一瞬で消す明かりのようです。したがって、遠い過去も含めて、いつでも過ちがあれば、真剣に改過することが大切です。

しかし、世界は不確かであり、私たちの体は壊れやすく、呼吸ができない瞬間に改過の機会を失うことがあります。

人間界で千年の悪名を背負い、聖なる子孫が居ても、それを取り除けません。

冥界でも千百回の苦しい輪回を受けることになり、聖人や菩薩も手助けできない場合もあります。

なぜ畏れないのでしょうか?

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