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一般化が加速する時代

KitchHikeという食のマッチングサービスを提供している代表の山本さんが一昨日開かれた「CSHACK」にてこんなことを言っていました。

「これまでは音楽やデザインにおいて、誰もがでるようになる(一般化する)タイミングがあった。これから誰もができるようになるのは「料理」である。だから食のコミュニティサイトを立ち上げた」とのこと。

まとめるとこんな感じ。

-1960年代~ アーティストだけでなく、誰もが音楽をできる時代に(楽器の普及)
-1970年代~ デザイナーだけではなく、誰もがデザインをできる時代に(Macの普及)
-2000年代~  建築家だけではなく、誰もが建築をできる時代に
-2010年代~  料理人だけではなく、誰もが料理(食)をできる時代に(これから)
 

なるほどな、と思った。
クックパッドやクラシルなどの誰でも美味しく作れるようになるレシピが普及していることによって、料理を作るハードルがこれまで以上に下がっている。「食」は間違いなく「誰でもできる時代」になるなと感じた。

ただ一方で
僕は、食に限らずあらゆる分野で「一般化」が加速すると思う。


プラットホームの発達によって、何をするのも手軽にできる。


どの時代も「一般化」の波が生まれたのは、
ハードルが下がるプラットホームができたからである。

そして今は、プラットホームがあちこちで発達し、何をするのも気軽にできるようになっている。

服を売るのはリサイクルショップだけの時代から、今では「メルカリ」で簡単に服を売れるし、
歌を作るのは作曲家だけの時代から、今では簡単に作詞作曲ができる「GarageBand」があるし、
数万人のファンの前で歌を歌えるのはアーティストのみの時代から、今では誰もがファンを作りながら気軽にライブができる「SHOWROOM」があるし、
制作会社しかサイトを作れない時代から、今では特別な作業なしで誰でもサイトを作れる「ペライチ」があるし、
動画制作やアプリ開発は専門の会社しかできない時代から今では個人でもスキルさえあれば「CrowdWorks」で仕事ができる。

もっと言えば、お金がある人しか事業を立ち上げられない時代から、今では、お金が必要であれば、「CAMPFIRE」で気軽にお金を集められる。

そんな風に「何かをしたい」
と思った時に、始められるハードルが
次々に出来上がるプラットホームによって
限りなく低くなっている。

食に限らず、専門職の一般化は圧倒的なスピードで進んでいると思う。


自分中心の時代

そしてもう一つ。

「主人公になりたい」という欲求が、今までよりも、増していること。
「作り手」という表現の方がわかりやすいかもしれません。
料理人しか作れない料理が一般の人も作れるようになる、というように、誰もが作り手になることが「一般化」だとすれば、時代の流れ的にも一般化があらゆるところで起こっていく。

一方通行から双方向に

というのも、これまでは「一方通行」のコミュニケーションが基本で、
人は情報を取得するためにテレビを見たり、新聞を見たり、時には本を読んだり。ただ情報を一方的に受けるばかりで、テレビに対してリアルタイムに意見を言えないし、新聞や本と会話を交わすことは勿論できない。

そのような一方通行の時代から、
ブログやSNSが普及していき
自分の考えを簡単に発信できるような双方向の時代になった。

文章が面倒であれば、インスタグラムで写真や動画を投稿すればいいし、
投稿したものにはすぐに「いいね」が集まって、「自分が中心」のコミュニケーションが生まれる。
撮った写真は、撮った人の「作品」になり、いいね数は作品の「評価数」とも言い換えられる。

つまり、自分自身が常に”作り手”、あるいは”主人公"である瞬間が圧倒的に増えているということ。
全ての人が主人公の時代、というのがそうゆう理由。

(最近も、nanapiを作ったけんすうさんが以下のようなツイートをしていてバズっていたが、誰かの物語の消費ではなく、自分の物語を素敵にしたい欲求に変わっているということ)

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そんな時代に生まれてきた人は
きっと、作り手が当たり前になり、
一方的な消費には興味を持たなくなるのだと思う。

先日、LINEの田端さんが投稿していた記事には、「一方通行な広告が終わる」という観点から上記のことを書かれていて、まさに本質だと思った。

オーケー、認めよう。広告はもはや「嫌われもの」なのだ — LINE 田端信太郎

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つまり、人はもう誰かの物語を消費するだけの側には回らず、自分が作り手に回る瞬間をこれから先も求め続けていくのだと思う。

参加型のイベントやフェスが人気になり、
体験型のコンテンツが人気になっているのは、
その証拠。

僕自身も、少し前にイベントを実施した際に、チケットよりも倍以上も高い料金の「運営権」や「スタッフができる権利」が真っ先に売り切れたが、そういった形で、すでに結果が証明している。

お金を払ってスタッフをお願いするのが当たり前なところを、
お金をとってスタッフをお願いするのはどうなの?
と言われることもあったが、実際のところは、「お金を払ってでもスタッフをしたい」という心理に変化している。

つまり、単純に観戦する「受け身型の消費」だけではもう人は満足せず、作り手になれる機会の提供こそが、今求められていることだと思う。

自分自身がエンタメに興味を持っているのは、そのような参加型のコンテンツや体験型のコンテンツを作れる領域だから。


僕なりの結論

そういった意味で、僕なりの結論は、
一般化の波は「食」だけに収まらず、
あらゆるものに波及する。ということ。

誰でも、簡単に何かを作れる時代が、今よりもっと加速し、料理だけでなく、あらゆるものの「作り手側」に回っていくということが当たり前になる。

そんな時代に、
カフェをオープンさせることも
学校を作ることも
ファンをたくさん抱えたアーティストになることも
世界的な文化を作ることも
そこまで難しくないとさえ思う。

そしてそんな時代に
何か新しいことを作る挑戦をしないことは
本当に勿体ないことだと気付いた。


消費の形が確実に変化していると思います。

(twitter : kouya5724)


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