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webアクセシビリティ、ズレた認識で広まってる気がするんですが

ビヨンセの会社「視覚障害者に介助ない」全盲のファンに訴えられる」ってニュースを読んだんですけど、こういうwebアクセシビリティが配慮されてなくて訴訟されるのってアメリカのほうじゃ珍しくなかったりするそうで。記録を見る限り2006年ぐらいからあるみたいで、2018年8月にはAppleも訴訟を起こされてるみたいですね。

webアクセシビリティという言葉をググると「高齢者や障害者など心身の機能に制約のある人でも、年齢的・身体的条件に関わらず、ウェブで提供されている情報にアクセスし利用できること」と出てきます。これ、伝えるうちに伝言ゲームみたいに「年齢的・身体的条件に関わらず」って言葉がポッカリ抜け落ちてしまって、「高齢者や障害者向けのweb制作術」みたいな感じになっていってるぽいんですよ。「高齢者や障害者」ってインパクトの強い言葉ですからねぇ。

そもそもアクセシビリティって制約された閲覧者から始まる意味合いじゃなくね?って都度思ってて、状況によって情報のアクセスに支障を来さない仕様を目指そうよってのが正しい方向じゃないのかな?余計な言葉を入れるから使用者が限定されてしまってる感。本当は限定すべきじゃないのに。

そういえば視覚障害者用のスクリーンリーダー(音声読み上げソフト)ってありますけど、以前はかなり限定的なツールだったのに、今は対話式のインターフェースも珍しくないじゃないですか。hey siri、ニュースを読み上げて。ALEXA、音楽をかけて。そういうのが気軽に普及していく中で、アクセシビリティってようやく本来の道に戻れそうな空気感を勝手に感じてるんですが、やってるところは力入れてやってんだろうけど、やっぱ発注者、制作者も含めて興味が薄いっていうか断絶してるっていうか。だから冒頭のニュースみたいな代替テキストなんていう基本中の基本を余裕ですっ飛ばす事ができるんだろうなあって思ったり。altが要らないなら aria-hidden=”true” を付けて読み上げしないみたいな対策を取れば誰にでも(そう、誰にでも!)優しい仕様に一つ近づきますよね。やっぱ愛だよ、愛。

去年ぐらいから自分の中で「not for me, but for someone」って言葉をなんとなしに心がけててまして。英語が合ってるかわかんないですけど「自分向けじゃなくても誰かさん向けかも」って意味で使ってましてね。それに加えて「someday to me(いつかは自分に)」。そんなわけで愛を持ってマークアップしていきたいですね。

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