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書を捨てよ 町へ出よう

2018年10月25日、フェイスブックに書いた記事。今の私をつくる材料となっているのは間違いなく過去に観てきた映画や演劇で、その台詞や感じたことってやっぱり観た直後が一番鮮明なわけで。こうやって言葉に起こしたものはきちんと残しておきたいなと思ったので、こっちにも載せておく。また再演しないかなぁ。ゾクゾクする演劇が観たい。

以下、コピペです。








さよならだけが人生
さよならだけが人生
さよならだけが人生ならば
私の人生 何になる?

先日観劇した、寺山修司作、藤田貴大演出の「書を捨てよ 町へ出よう」で、小児麻痺の妹が淡々と喋っていたこの言葉、すごくすごくすごく頭から離れなくて、ああそういえば私これをすごく考えた時期があった、結局自分の答えはないまま放置してしまっているけど

演劇の世界には山程の言葉があって、私の知らない言葉も山程あって、あの日、あの時の私の苦しみを全て浄化してくれるような言葉も、私が言葉に出来ずただ漠然と不安の中に溺れていた感情の答えとなってくれる言葉も、とにかく山程の言葉で溢れていて、その言葉を生んだ人がいて、私はまだ知らない世界ばかり、知らない過去、知らない人物、その人が生きた時間、私の一生ではどれも追いきれない、追いきれないけど、知りたい、私の知らない世界を知りたい、まだ私は知らない事が多すぎる、この世界で生きていくには無知すぎる、演劇が好きなのに演劇史は全然分からない、シェイクスピア作品を生で観たことあるのはマクベスだけ、チェーホフは短編だけ観たことあって、かもめも桜の園もワーニャ伯父さんも観たい観たい言い続けながら結局まだ観れていない、別役実の作品を知らないのに、別役実に感化されて書いたという作品を観に行った、先日初めて寺山修司の作品に触れて、心臓の奥底までえぐられるような感覚に気持ち悪くなって最高に気持ち良かった、感じたことのない感情が、私の欲しかった言葉が、舞台の上には山程ある

言葉 大切な台詞 言葉
私が人生で初めて観に行った演劇は、演劇集団キャラメルボックスの「水平線の歩き方」でした
演劇があんなに格好良いものだなんて知らなかった あんなにも心を動かされるものなんて知らなかった
興奮してボロボロに泣きながら、私も将来役者になります!なんてとんでもなく恥ずかしいアンケートを書いて出したあの日の私は、本当に本当にあの瞬間、強くそう思っていた
私も舞台に立ちたい 私もあの世界へ行きたい あの人達のいる世界へ行きたい こんなにも人を動かしてしまう未知の力に、私も触れたい そう思っていた

幸一、人はね、一人じゃ幸せになれないの
水平線の歩き方で、私が一番好きな台詞
終演後衝撃で席から立てなくなった私の頭の中でずっと漂っていた言葉
演劇が好きな人はきっと誰もが、好きな台詞、自分の為にあると思える台詞があるはずで、その言葉を大事に大事に生きている
その言葉を疎かにしてはいけない
何気ない台詞が、何処かの誰かにとって人生の支えとなる言葉かもしれないし、見ず知らずの誰かの心を救う言葉かもしれない
何も疎かにしてはいけない 死ぬ気で生きなければいけない ほんとに、死んでも良いと思う 一度死ねば良いと思う 毎日舞台で生きて生きて生きて生き抜いて、死んで、そしてまた次の日もひたすら生きて、その繰り返しで
それだけのものを私達は背負ってる 言葉っていう大切なものを 感動という大切なものを背負っている そしてそれを背負う選択をしたのは他の誰でもない自分
言葉 言葉って本当にすごい たった一言でその人の人生が変わる 言葉の力 お守りのようなもの

死んでみろ、よく分かる
よく見る為に目を瞑り
書を捨てよ 町へ出よう

寺山修司さんは一体どんな人生を送ったんだろう
母親と二人、どんな日々を送ったんだろう
ぱちん、の一言で終わる物語、ぱちん、その一言を書いた彼は、ぱちん、で人生を終えたのだろうか
藤田貴大さんの演出 とにかく神々しくて美しい世界だった
あんなに美しくて見惚れてしまう性描写を私は初めて見た

ああ結局言葉は纏まりませんでした
演劇ってすげえな、みたいな話

あの日の私が今の私を見たら、どう思うのだろう。
あれから7年、回り道をしながらも、あの日のアンケートに書いた言葉のまま、気持ちのまま、私は今日も生きている

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