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シュレディンガーの猫と神条紫杏 ~箱の中のネコ~ の考察っぽいもの

昨日、久しぶりにパワポケ10をやった。毎日動画を作ってる(他のアカウントでも投稿している)身としてはあまりやれなかったのだが、ようやく出来た。いややれなかったのではなく、やらなかったのだな。ってことで久しぶりにパワポケ解説をする。

シュレディンガーの猫と神条紫杏

今回は神条紫杏という人間とシュレディンガーの猫の関係性について解説していく。神条紫杏という人物を知らない方もいるかもしれないので、神条紫杏について説明していこう。神条紫杏は親切高校の生徒会長である。変人の生徒会長として偉そうな態度を取りつつもかわいい面があるそんなパワポケの彼女候補である。

しかしこのゲームはパワポケなので、変人の生徒会長というよくある系の彼女ではない。その後ジャジメントという会社の社長に就任し、外部の財閥・支配層をなぎ倒し世界の支配に成功し、人類のために自己を犠牲にして動く社長として邁進することになる。その後とある小物に殺されあっけなく死ぬのだが、享年わずか20歳という短命であった。まぁこんなぶっとんだシナリオもパワポケではよくあることである。さてそんな紫杏を彼女として攻略できるパワポケ10の紫杏ルートは本当に面白いと思う。というか自分のひねくれの原点はあそこにあるのではないだろうか。彼女ほど興味深い女性というのはいない。地球にやさしいのスローガンを疑ったり、カロリー半分を嫌悪する姿勢。あれこそパワポケを象徴する彼女であり、今でもパワポケが根強い人気を誇る要因なのではないかと思う。

その紫杏ルートではシュレディンガーの猫を巡って、生徒会長とのエキセントリックな日常が繰り広げられるのだが、紫杏ルートでのシュレディンガーの猫とはどういう意味なのだろうかという疑問が残ってる人が多いのではないだろうか?
ということでシュレディンガーの猫とは何か。そして紫杏ルートではなぜこの話がグッドエンドへのカギとなるのか?という二つのアプローチから考察していこう。

シュレディンガーの猫とは

シュレディンガーの猫というのは大まかに説明すると有名な思考実験である。ナゾロジーのサイトによると、「一定確率で毒ガスを放出する装置と一緒に箱に入れられたネコは、蓋を開けて観測するまで生きた状態と死んだ状態が重なり合っている。」ような思考実験らしい。要するに、箱に入れた猫の生存している確率は、生きてる可能性も半分あるし、死んでいる可能性も半分あるという話である。

この図で分かるか…?

いや、箱の中の猫なんて、死んでるか死んでないかの二択やろ?って思う人が大半だと思うが、この話はそんな当たり前のことを言いたいのではない。これは「観測するまで物事の状態は確定しない」ということを言及しているにすぎないのだ。このシュレディンガーの猫に関しては、まぁ量子力学のムジュン?なるものを追求してた思考実験にすぎないものであり、紫杏が言ってる本質としてはバークレーの認識論である(朱里談)。

ということはバークレーの認識論を紐解いていかなければ紫杏ルートの真の意味というものはわからない。だから今度はバークレーの認識論について考察していこう。

バークリーの認識論

バークリーの認識論といっても僕は哲学に乏しい人間なのでよくわからない。しかし、ネットというのは便利だ。「バークリー 認識論」で調べれば一発で概要を知れてしまうのだから。まぁほんとはこういう哲学って「過程」を経て「本質」にたどることが重要であり、哲学ってそういうものなのではと思うが、見ている人に理解されないといけないので大まかに理解しておこう。バークリーの認識論とは「存在するとは知覚されることである。」というものである。もう少し噛み砕いて説明すると、そこにあることで認識される。つまり正体を見た瞬間に、それが「モノ」であるというふうに認識されるということだと私は考えた。あくまで自分の意見なのでこれで合ってるか自信はないが、「観測するまで物事の状態は確定しない」・「存在するというのは知覚されること」という2点が紫杏を理解する鍵であることは間違いないだろう。この2点に関して覚えてもらいたい。

紫杏とは?どんな人間か。

紫杏ルートは奥深い。紫杏はエキセントリックな思考に加えて、優秀でポンコツな面もある生徒会長として描かれている。そして紫杏と仲を深めていくと紫杏の父親と接する機会があり、そのイベントで紫杏のパーソナリティに関して知ることができる。父親からはこのように語られている…。必要だと思うとやってしまう子…。これは紫杏のやりすぎてしまう性質を表しているのだろう。それは紫杏の演技する才能に現れており、紫杏もこのように主人公との会話でこう発言している。

変なしゃべり方をする自信過剰な女を演じて人の感心を買うことで、周りに気に入られようとし、紫杏自身もその才能を使って周りの目を伺って生きていたのだ。そんな周りから受けいられたい思いが強い紫杏の「演技」によって、パワポケ界の周りの人間が翻弄されていくのだが、この紫杏の「演技」こそ紫杏のパーソナリティである。この「演技」に関しては後の動画・考察にて触れるつもりなのであまり言及しないが、彼女は「演技」ができるネコであるということをわかってもらいたい。
まぁ作中ではそんな演技に主人公や周りの人間が翻弄されていくのだが、彼女は親切高校の闇を知り、自分が愛され、人の役に立つことを諦めて、目的意識だけで動く哀れな怪物に成り果ててしまう。しかし紫杏ルートではそこに主人公が現れる。そこで彼女は、おそらく初めて本当の弱い「あたし」をさらけ出すのだが、主人公の選択によって今後の運命が決まる。紫杏には「愛」とか「ありのままの君でいい」のようなありきたりの言葉では届かない。ただ「箱の中のネコ」という言葉だけが彼女を認める言葉であったのだ。


これだけだとわかりにくいのでたとえ話をしよう。「箱の中のネコ」「箱の中の紫杏」として例えてみよう。「箱の中の紫杏」にはいろんな人に見せる性格がある。それは「優等生で演技がかった紫杏」であったりとか「リーダーシップがありカリスマ性あふれる紫杏」であったりとか「主人公に甘えるポンコツな紫杏」であったりとか「心の奥底の本当に弱く誰からも愛されたい紫杏」これら全て「箱の中の紫杏」である。
これらが箱の中の紫杏が本当かウソであるかの確率は50%である。「観測するまで物事の状態は確定しない」シュレディンガーの猫の原理をここで思い出してほしい。紫杏は今までの自分を「演技」だと言った。しかし、主人公はそれが演技であるかどうかなんてわからないだろ?と「観測するまで物事の状態は確定しない」ことを自分なりの言葉で問いかけたのである。つまりそれは、たとえ紫杏の演技であったとしても、そうでなかったとしても紫杏そのものを受け入れるという宣言なのである。
そして主人公はその後に、ウソでもいいとも言ったのである。「演技する紫杏」も「人に憧れる紫杏」も「小心者の紫杏」も全て箱さえ開けなければ「箱の中の紫杏」であり、ありのままの紫杏なのだ。

箱の中に紫杏がいることこそが「存在するというのは知覚されること」であり、その箱のフタを主人公はキスで閉めた。箱の中に紫杏を閉まっておくことで、ありのままの紫杏を受け入れたのだ。紫杏の演技を受け入れるのではなく、箱の中の紫杏そのものを主人公は受け入れたのだろう。

だから主人公のために振る舞う人格である「あたし」が産まれ、グッドエンドの世界線の紫杏は、今後も様々な人格を演じる変人になるのであろう。ただ、この世界線の紫杏は良い意味での可笑しい変人として周りの人間から愛されているに違いない。主人公と共に幸せな日々を過ごすのだろう。この世界線の紫杏の行く末も、観てみたかったが、パワポケスタッフは天邪鬼なので、お気に入りの女ほど、不幸な目に遭わせたがるのだ。なんとも罪なゲームである。

最後に

あくまでこれはパワポケ10のシナリオを中心とした私なりの解釈である。この動画や考察を見た人は是非そっと蓋をしてほしい。これはあくまで暑苦しくなってちょっとフタを開けただけの私なりの解釈であり、蓋を閉めてしまえば新たな貴方だけの箱の中のネコや紫杏がいると思うからだ。


あとこの解釈を思いつくのに絢辻詞さんの影響があったことは大いに伝えておきたい。私はアマガミでは七咲が好きで、パワポケが木村冴花なのだが、どうも気になってしまうのはこの2人なのだ。エリート育ちの多重人格者というのに共感できる部分があるからだろうか。
以上です。動画verもあるので是非興味あるから見てください。Twitterとかもやってます。ではまた。


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